第14話 ナッチ応援団

木漏れ日


膝の上でラケットを揺らしながら、 ハルキは午前の試合を
ふり返っていた。
ラブゲームで負けるのは、 何年ぶりだろうか。
文字どおり 「手も足も出ない」 状態だった。
簡単に勝てると思っていたワケではない。
仮にも相手は副部長で、 テニス部ナンバー2の実力者だ。
だが自分にだって、 幼い頃からテニスの英才教育を受けてきた
という自負がある。
日高コーチの息子といわれ、 疎ましく感じてはいるが、
それなりのプライドも背負ってきたつもりだ。
周りの好奇の目や嫉妬心に、 振り回されないだけの実力をつけてきた。
なのに、格の差を見せつけられたのは、 自分のほうだった。

ラケットのヘッドの部分が、 さらに激しく上下する。
コーチの息子だから、 上手くて当たり前。
自宅がテニススクールだから、 強くて当然。
自由と引き換えに重ねてきた努力は、 一切無視される。
いままで減点法でしか、 見られたことはない。
タイブレイクの末に試合を制しても、 「コーチの息子なら、大差で勝てるはずだ」 と責められる。
ドロップショットを習得しても、 「コーチの息子のわりには、サーブの切れが悪い 」と叱られる。
常につきまとう父親の影が、 息子の長所を覆い隠していた。
褒められることを期待して傷つかないように、 自分も減点法でしか自己評価することはない。
そんな自分にも 、周りにもイラついていた。
明らかに、ハルキは不機嫌だった。

奈緒は以前、 テニススクールのトーナメントで、 これと同じ姿を見たことがあった。
試合に負けたり、 思うようなプレーが出来なかったとき、 かならずハルキは、あのポーズをする。
ラケットを膝の上にのせて、 何度もなんども上下に揺さぶる。
唇をかみしめ、 前をあるく通行人を睨みつけ、 それでも視線はどこか違う場所に集中している。
小心者の奈緒は、 上下するラケットを見るたびに、 ハラハラしていた。
まるで通りすがりの人間に、 「ケンカを売ってください」 と頼んでいるような挑発的な態度。
自虐的行為とでもいうのだろうか、 ふつうの人が落ち込む場面で、彼は自分を痛めつけようとする。
副部長の唐沢を相手に、 よほどひどい負け方をしたのだろうか。
ここまでイラつく姿を見るのは、 初めてだった。
気にはなったが、 この状態の彼は、いくら声をかけても無視されるだけだ。
他人を寄せつけずに、 おのれに対する怒りだけで解決するのが 、ハルキのスタイルだ。
邪魔をしないよう後ろを通りすぎると、 急いで Bコートへと足を速めた。

手芸部の先輩から質問攻めにあいつつも、 奈緒は昼までに作品を仕上げ、 自分のノルマを終わらせていた。
なんとかトオルの試合に間に合うかと思ったが、 到着したときには、すでに次の試合が始まっていた。
少し離れたところで、 千葉がなにやら文句を言っている。
「遅いッスよ、コーチ! 午前のトオルの試合、いいとこまでいったんスよ!」
千葉は、 後輩の健闘ぶりに感動している様子だ。
トオルの運動能力は周知の通りだが、 ナンバー3 を相手に 、あの適応能力の高さは、タダ者ではないと。
ところが対戦を指示しておきながら、 当のコーチが現れたのは、 試合が終わったあとだった。
部員の声が頭に響くのか、 コーチの日高は顔をしかめている。
あきらかに二日酔いの状態だ。
「昨日、飲みすぎちまってなあ。 龍のヤツ、一段と酒強くなりやがって …… 」
どうやら、 日高とトオルの父・龍之介は、 息子たちの試合もそっちのけで、 前夜から酒を飲んでいたらしい。
前夜から …… 今朝までだろう、この酒臭さは。

余談だが、 査定試合を午後に集中させているのは、 日高が早起きしたくないという、
いたって傲慢な理由からだ。
午前のランキング戦で、 彼が顔を出したことなど、 ただの一度もない。
起きられないからである。
おかげでレギュラー陣は、 午前のランキング戦と、 午後の査定試合をあわせ、 一日で 十試合ちかく
戦うこともある。
二日に分けて朝からやれば、 負担が軽くて済むものを、 日高は頑として聞き入れない。
一日に 十試合こなすのは、 中学生にとってはかなりの数だ。
しかし、 そのタフな体力がなければ、大会を勝ちぬけないというのが、コ ーチとしての理屈だ。
これは、 あくまでも建て前で、実際は 「早起きしたくない」 というのが本音らしいが、
そこは誰にも深く追求できない領域だった。

「まあ、あんなもんでしょ」
唐沢がクールに言い切った。
そのひと言で、 トオルの試合内容が通じているらしい。
「まあ、そうだろうな。 もともと実戦経験のために、 組ませた試合だからな」
日高が眠そうな目をして答えている。
「実戦経験って、 どういう意味ッスか?」
ふたりの会話を理解できずに、 千葉が聞き返す。
「今のトオルに足りないのは、 ただひとつ。負ける経験 …… ふあぁ〜 」
と言い終わらないうちに、 今度はあくびが加わった。
親友との夜通しの宴会は、 オヤジには相当キツイらしい。
試合を見逃した奈緒には、 話の内容はわからなかったが、 トオルが負けたのは事実らしい。
さっきの不機嫌なハルキを思い出し 、急にトオルのことが心配になった。
試合慣れしたハルキでさえ、 負けてあれだけイラついているのだ。
テニス初心者の彼は、 どうしているのだろう?
落ち込んでいるとは思えなかったが、 やはり気になる。

奈緒は、 試合の熱気から離れて、 落ち着けそうな場所を中心に、 トオルの姿を探してまわった。
自分の経験から、 試合に負けた選手というのは、 静かな場所を選ぶと思っていたからだ。
周りからなぐさめられたり 、余計なアドバイスをされるより、
少しずつ敗因を探りながら、 ひとりで過ごしたいと思うはず。
けれど贅沢をいうなら、 少しはなれたところで、 誰かが見ていてくれると、 もっと嬉しいと思っていた。
最低の気分を味わった後に、 「ひとりじゃないよ」 と言ってくれる誰か。
「私がその 誰かになれるかな …… ? 」
自信はないけど、 そうしたかった。
彼のために自分が出来ることは、 そばで見守ることだけだから。

トオルは中庭にいた。
背の高い木の枝に向かって、 放物線を描くように、 ボールを打ちこんでいる。
さっきマスターした、 トップスピン ・ ロブを忘れないうちに、 練習しておきたかったのだ。
「どこにいても、練習は出来る」 という、 海南中の石丸の言葉を、 そのまま実践していた。
「今は、 そっとしておいた方がいいよ、 ナッチ!」
とつぜん陽一朗が、 奈緒に声をかけてきた。
この先輩とは初対面のはずなのに、 どうして名前を知っているのだろう?
しかも、 ナッチって ――

「ああ、 いたいた」
続いて千葉もやって来た。
「アイツ、 次の試合のために、 練習しているんだろう。 ったく、 転んでも、 タダじゃ起きない野郎だ」
「あのう、 あそこで何をやっているんですか?」
ふたりの先輩に囲まれて、 ビクビクしながら奈緒が聞いた。
初対面の人とは、 うち解けて喋れない性格なのだ。
「トップスピン ・ ロブの練習だろ。
さっきの試合、 もっと早くにアレが完成していたら、 流れがずいぶん違ったからな」
真剣な眼差しでボールを追う表情は、 いつも隣の席でバカ騒ぎしている少年とは、 まるで別人のようだ。
先輩たちの言うとおり、 ここは、そっとしておいた方がいいらしい。
トオルが落ち込むことなく、 次の試合に集中しているとわかり、 奈緒は安堵していた。

「ところでさ、 『ウ吉』 とは、 単なるクラスメートだっけ?
見ちゃったんだよね …… このまえ二人で仲良さそ〜に買物してるところ」
陽一朗が、 ニタニタしながら聞いてきた。
「ウ …… ウ吉??」
奈緒はキョトンとしていた。
「ああ、わりィ。 こいつ勝手にトオルのこと 『ウ吉』 って呼んでるんだよ。
でさ、 どういう関係?」
千葉も興味津々だ。
明らかに先輩たちは、 自分とトオルの関係を知りたがっている。
それも 「好きです」 という回答を得るまで、 似たような質問をなんども繰り返すつもりだ。
これでは、 今朝の手芸部と同じパターンになってしまう。

「何やってんッスか、 先輩!」
トオルが慌てた様子で、 会話に割り込んできた。
「ナニって、 かわいい後輩のために、 俺らが応援してやろうかなって …… な、陽一?」
「そうそう。 だって 『ナッチ応援団』 だからさ!」
「え? トオルの応援じゃないのかよ?」
千葉が怪訝な顔して、 陽一朗のほうを振り返る。
「な〜に言ってんだよ。 とうぜんナッチの応援っしょ!」
陽一朗も不思議そうな顔をして、 千葉を見ている。
どうもこの二人は、 仲良さそうに見えて、 いつも肝心なところが噛み合わない。

「どっちでもいいッスけど、 奈緒に変なこと吹き込まないでくださいよ」
トオルが口を尖らせながら、 抗議している。
「デヘッ! 奈緒だって …… やっぱ、そういう関係?」
「で、で、 どこまでいった?」
どうあっても先輩達は、 この話題から離れるつもりはないらしい。
さっきまで、 「そっとしておいた方がいい」 と真顔で言っていた人間と、 同一人物とは思えない。

「逃げるぞ、 奈緒!」
先輩たちの隙をついて、 トオルは猛スピードで走り出した。
つられるようにして、 奈緒もその後に続く。
いや、 つられたのではない。
連れて行かれている
ラケットを握る力強い手で、 自分の手を引っ張っている。
本来なら、 つないだ手から 「ぬくもり」 など感じて、 ドキッとしたいところだが、
走るスピードが違いすぎて、 どうみても連行されている格好だ。
野山で鍛えたスピードに、 運動オンチがついていくのは、 無謀というものだ。
その状況を察して、 トオルが体育館の裏手の倉庫に隠れようと提案した。
中等部と高等部、 双方の敷地の中間に建てられている体育倉庫。
そこは、 高等部と共同で使用しているため、 中等部の生徒からみれば盲点になる。

「ご …… ごめんね、トオル …… 邪魔しちゃって …… 」
奈緒はまだ、 息が切れて苦しかった。
こんなに速いスピードで走ったのは、 生まれて初めてだ。
「奈緒が謝ることじゃない。 オレの方こそ、 もっと早く気づけばよかったのに、 ゴメンな。
ちょっと考え事しながら、 練習してたから」
「う、ううん …… そ、そんなこと …… ないって …… 」
まだ息が苦しい。
そのうえ、 今頃になって 「手をつないだ」 という事実に、 心臓が反応し始めていた。
手の温もりよりも、 痛みのほうが強かったが、 それでもドキドキしている。

「おまえ、 喋んなくていいって。 苦しそうだ」
トオルが笑っている。
中庭での、 怖いくらいに真剣な表情は消え、 いつもの屈託のない少年の笑顔に戻っている。
「体育倉庫って、 秘密基地みたいで、 なんかおもしろいな」
「う …… うん。 あの …… 」
「だから、 喋らなくてもいいって。 オレが勝手に話しているだけだから」
喋らなくていいと言われても 、倉庫という密室にふたりきりでいるのだ。
何か話さなければ、気まずい雰囲気だ。
しかも、 さっき先輩たちにからかわれ 、手までつないだというのに。

心の中で 「落ち着け」 と繰り返し、 奈緒はできるだけ早く会話ができるよう、 努力してみた。
暗い倉庫に入った瞬間、 ハルキの姿を思い出したからだ。
あの不機嫌な様子からして、 つぎの試合はシビアなものになるだろう。
過去のトーナメントでも、 負けたあとのハルキは、 相手に容赦なく襲いかかっていた。
あくまでもコート上での話だが、 「襲いかかる」 という表現がピッタリくる程に、
恐ろしい形相でプレーをする。
それほど、 彼は勝負に関して執着心が強い。
負けた相手は、 倍にして返す。
負けた悔しさをバネにして、 次の試合につなげる。
そういうプライドの高さが、 今のハルキを支えている。
それなのにトオルは、 こんなところで、 時間をつぶしていいのだろうか?
ようやく息を整えて、 奈緒は疑問を投げかける。
「次の試合の準備とか、 しなくていいの?」
「ああ。 いろいろ考えてみたけど、 今さら何かしても始まらねえだろう。
小細工なしで、 ありのままの自分をぶつけるしか、 方法はないかなって …… 」

薄暗い体育倉庫の上に、 小さな窓がついている。
その高い小窓と重なるように、 桜の木の枝が覗いていた。
軽やかなピンクの花と入れ替わり、 いまは新緑の葉が顔をだしている。
木漏れ日というのか 、窓からこぼれる光のかけらを、 トオルは目で追っていた。
「オレ、 ハルキみたいにテニスの事、 よく知らねエし。 付け焼刃で通じる相手でも、 なさそうだし。
シンゴ先輩と試合してみて、 よくわかった。 強ええ奴って 、やっぱり理由があるんだよな」
彼は、自分を卑下しているわけでも、 ヤケになっているわけでもない。
冷静に、 置かれている立場を分析した結果、 この答えにたどり着いたのだろう。
彼の落ち着いた表情に、 奈緒の不安もしだいに消えていた。

風が吹くたびに揺れる日差しは、ふたりの間をさらりと通り過ぎていく。
その透き通るような淡い光が、 膝を抱える少年を、いつもより上品に見せていた。
突飛な行動と口の悪さのせいで、 ふだんは乱暴な印象を与えるが、
こうして黙って座っていると、 育ちのいい 「お坊ちゃま」 と勘違いしてしまう。
現に、 彼の父の実家は、 九州で有名な武具屋を営んでおり、 家業は長男が継いだとはいえ、
次男坊の龍之介も、 れっきとした 「ぼんぼん」 だ。
よって、 その息子のトオルもまた、 口は悪いが、 一応 お坊ちゃまである。

トオルもハルキも裕福な家庭で育ちながら、 父親の教育方針の違いだけで、
今はそれぞれ対極にいる。
テニスのエリート教育を受けていながら、 自分を 「無菌培養」 だと卑下するハルキ。
かたや、 テニスのルールも知らずに右往左往しているが、
着実に進むべき方向を、 自力で見出そうとしているトオル。
唐沢が 「騎手のいないサラブレッドと野生馬の対決」 と評していたが、
まさにその通りの構図になっている。

顔を上げ、 小窓を見つめながら、 トオルが続けた。
「オレさ、 ずっと考えていた。
なんで、 親父がオレにテニスを教えなかったのかって」
いつもは脳と口が直結しているのではと思うほど、 ズバズバと物を言う少年が、
いまは丁寧に言葉を選びながら話していた。
「最初は、 肩を壊したせいだって思った。 テニス教えたくても、 教えられなかったんだって …… 」
奈緒は黙って聞いていた。
いつか、 公園で彼がしてくれたように、 次の言葉をじっと待った。
「けど、 実は肩のせいじゃなくて、 わざと教えなかった気がする。
それが本当なら、 ムカつくんだけど。
今朝だって、 息子の初めての試合があるっていうのに 、家にいないし…… 」
そういえば日高が今朝がたまで、 トオルの父親と飲んだと話していた。
やはり、 トオルと父親のあいだには、 独特のスタンスがあるようだ。

「自分勝手で、 すげえムカつくオヤジなんだけど …… だけど、 結果的には良かったって思う。
上手く言えないけど、 教えられなかったから、 わかる事があったっていうか …… 」
的確な表現が見つからないまま、 さらに少年が続ける。
「きっと、 教えられて気づくことじゃなくて、 自分で探して見つけなきゃ、 意味がないのかなって。
う〜ん …… やっぱ、よくわかんねえや。 ゴメンな、変な話して」
形に出来ないもどかしさに直面し、 トオルはひどく困った顔をしていた。
「そんなことないよ。 今わからない事だったら、 この先に答えがあると思う …… きっと」
今わからなくても、 この先に答えがある……
わかりきったことだが、 これが奈緒にいえる精一杯のアドバイスだった。

驚いたように、 トオルはしばらく奈緒を見つめていた。
今はわからなくてもいい。
自分の足で歩いていって、 見つければいい。
この先に答えがあるのだから。
少年にはそう聞こえていた。

「そうだよな。 進むしかネエよな、 今は」
自分なりに納得したのか、 ようやくいつものヤンチャくさい笑顔に戻っていた。
「サンキュー、 奈緒。 オレ、 行ってくる」
「だいじょうぶ、 トオル?」
「ああ。 ちょっと自信がなかったけど、 もうだいじょうぶだ。
答えが出るまで、 進んでみる」
父の名前 「R.MAJIMA」 が刻まれたラケットを担ぐと、 トオルはまっすぐ出口に向かった。
「あ、 待って。 私も一緒に行く!」
「おまえ、 手芸部は?」
「午後は、 一試合分だけ、 お休みもらったの。 だから、 トオルの試合、見に行ってもいい?」
少年の瞳が、 琥珀色に変わる。
「ああ、 もちろんだ! おまえが見てくれるんなら、 オレ勝てる気がする。 頼んだぜ、 奈緒」



バックアイコン前のお話にもどる  | エライアイコン輝・バックナンバーの目次に戻る  | ネクストアイコン次のお話へいく


バックナンバーを読んでくれてありがとう!
  輝・表紙に戻りたい人は、バックナンバー目次の"ホームズ"肉まんをクリックしてね!