第16話 敗者の教訓 (後編)
バリュエーションの翌朝は、 必ずミーティングと決まっていた。
査定の結果を考慮して、 大会に出場するレギュラーが
発表される。
レギュラーの選抜とオーダーは、 コーチ、 部長、 副部長の
三人で決めていた。
顧問の恩田も一応いるが、 意見を言うことはない。
そのミーティングの前に、 トオルは昨日の愚行を
きちんと唐沢に謝罪しておきたかった。
校門の前で待っていると、 唐沢がチームメイトの滝澤とともに登校してきた。
「唐沢先輩。 昨日は、 失礼な態度をとって、 申し訳ありませんでした!」
早速トオルは、 校門の前で土下座した。
この街に来て、 土下座をするのは、 これで三回目だ。
後輩の大胆な謝罪の姿を見ても、 とくに唐沢は驚く様子もない。
それどころか、 まるで 「計算どおり」 というように、 ニヤリと笑っている。
「ようやく、 頭が冷えたらしいな。 どうやら、 本当のバカでもなさそうだ」
「いえ、 オレ、 バカです。 怒りに任せて、 八つ当たりして、 最低です …… 」
心配そうな顔をしながら、 滝澤が、 唐沢とトオルのふたりを交互に見つめている。
土下座の後輩をそのままにして 、唐沢は涼しい顔で話しかけた。
「ま、 その殊勝な心がけに免じて、 ひとつ、 いい事を教えてやる」
「はい」
「まず、 昨日の試合。 おまえが最後まで、 冷静だったとしたら、
もう一度、 流れを引き戻すチャンスが生まれたかもしれない」
今のトオルには、先輩の言葉の意味がよくわかる。
まさに、 その通りだと思った。
「つまり …… 勝負ってのは、 どんなときでも 冷静になったヤツ の勝ちだ。
これからオマエが戦い続けるつもりなら、 よく肝に銘じておけ」
「はい!」
「さあ、 坊や。 ミーティングが始まるわよ」
滝澤に言われて、 トオルも歩き出した時だ。
唐沢が悪びれる様子もなく、 ごく自然に 「重大発言」 をした。
「それと、 おまえ 借金一万四千円な。 次ぎの試合で、返してくれよ、 『ウ吉』クン!」
「へっ?!」
すっかり忘れていたが、 昨日の試合で、 トオルは千円を自分に賭けていた。
惨敗したわけだから、 千円が戻ってくるとは期待していない。
けれど、 なぜ一万四千円という 「多額の借金」 に膨れ上がっているのか。
「それがさ、 おまえ穴馬すぎて、 誰も賭ける奴いなかったんだよね。
それで、 おまえの賭け口を増やしたってワケ」
つまり先輩の言い分は、 賭けた人数の釣り合いがとれなくて、 トオルの賭け口に金額を上乗せしたらしい。
もちろん、 上乗せした事など、 本人には知る由もないことだ。
「そ、 そんなあ……」
涙目で座り込む後輩を背に、 唐沢は 「自己投資、 自己投資」 と上機嫌でミーティングへと向かった。
「なんか、 おかしいわね……海斗?」
滝澤が、 疑いの目を唐沢に向けている。
「何が?」
「アナタも坊やに賭けたんでしょ? 賭けに負けたわりには、 ご機嫌じゃないの。
それに、 海斗が レースもないのに、 他人にアドバイスなんて、 あり得ない現象よ」
「負け分は他のレースで回収しているし、 いちおう今回の敗戦も予定通りなワケ。
それに …… 」
唐沢の顔から、 このうえなく上質な笑みがこぼれる。
「アイツのおかげで、 "でっかいレース" 仕かけられそうなんだよね …… 」
最上階の会議室には、 全テニス部員と、 顧問の恩田、 日高コーチが集まっていた。
部長の成田が、 地区大会のレギュラーを発表する。
「まず、 ダブルスD2に滝澤、 荒木、 D1に伊東兄弟。
シングルスは、 S3に千葉、 中西。
S2とS1を藤原、 唐沢、 俺でローテーションする」
地区大会の対戦は、 ダブルス二試合と、 シングルス三試合で行なわる。
さきに三試合勝った方が、 次の試合に進める仕組みだ。
ダブルスをD、 シングルスをSと省略して呼び、 番号が低いほど、 試合の順番は後になる。
よってS1と言えば、 最後の試合で、つうじょうは部長など、 大将格の選手が努めるケースが多い。
また人数に余裕のある学校は、 ローテーションを組みながら
連戦となる大会での選手の負担を減らしている。
光陵は、 シングルスプレイヤーの選手が多いため、 シングルス戦でローテーションを組んでいた。
「部長、 ちょっと質問していいですか?」
不服そうな顔したハルキが、 手を挙げた。
「どうした?」
「通常、 うちの部のレギュラーは、 ダブルス4名、 シングルスス6名の計10名と聞いています。
今回は、 何故、 9名なんですか?」
「該当者がいなかったからだ」
簡潔な答えを成田が返した。
「だったら、 俺をレギュラーに加えてください。 俺は、 バリュエーションで1勝しています。
他の二年、 三年に該当者がいないのなら、 俺をレギュラーに入れてください」
「1勝しています」 のところで、 ハルキはトオルをちらりと見ていた。
トオルはムカっとしたが、 いまは 「一万四千円」 の借金をどう返済するかで、 頭がいっぱいだった。
「勘違いをするな。 今回のレギュラーは、 一年から三年、全てを対象にしたうえでの結論だ」
成田はあくまでも、 事務的に話している。
過去の経験から、 こういうレギュラーに入った、 入らないの話では、
感情的に話せば収拾がつかなくなる事を、 部長はよく心得ていた。
「理由を教えてください。 でないと俺、 納得できません」
たしかにトオルも納得できなかった。
ライバルの実力を認めるのは、 しゃくに障るが、 事実は事実である。
昨日の試合を見るかぎり、 ハルキはたしかに強かった。
「理由は明快だ。 今度の大会に、 おまえは必要ないからだ」
普段、 いい加減な日高が、 厳しい口調できっぱりと言い渡した。
「必要ないって、 どういう事ですか? ちゃんと査定したんですよね?
きのうの試合結果から見ても、 大差で勝ったじゃないですか? 納得できる説明をして下さい」
ハルキは食い下がっている。
入れ代わりに成田が、 淡々とした口調で説明を引き継いだ。
「まずおまえは、 午前で唐沢に負けた試合を引きずって
第1ゲームから、 相手の技量も確かめずに、 突っ走っていた。
少なくとも、 あの時点で真嶋は、 オマエを冷静に見て戦っていた」
ハルキは、 ライバルを評価する発言に、 ムッとしていた。
だがトオル自身は、 部長に 「あの時点で」と強調されて、 落ち込んでいた。
途中で自分が冷静さを失ったのを、 部長にも見抜かれている。
同じ事務的な口調で、 成田が続ける。
「結果、 真嶋のロブで追い詰められたおまえは、 出さなくてもいい決め球、 ドロップ ・ ショットまで使って、
ようやく勝利した。
初心者あいてに、 こんな勝ち方しか出来ない選手を、 レギュラーにするわけにはいかない」
いつもは 「ギャンブル」 しか頭にない唐沢も、 この時ばかりは副部長として、 厳しい顔つきになっていた。
おそらく首脳陣は全員、 おなじ意見なのだろう。
緊迫した空気を和らげるように、 唐沢が口調を変えて補足する。
「みんなも知ってのとおり、 午後のバリュエーションは、 大会の試合を前提として 査定するのはわかるよね」
全員の反応を確認してから、 さらに唐沢が続ける。
「もしハルキが、 S3に入ったとして、初戦の相手は、 真嶋ぐらいのレベルだろう。
その時、 きのうの試合のように、 かんたんに決め球を出していたら、 一時的に勝てても、
次の試合で必ず負ける。 状況によっては、 チームごと全滅になりかねない」
このときトオルは、 海南中の村主(すぐり)の言葉を思い出していた。
彼は 「みんなで強くならなくちゃ意味がない」 と言って、 後輩の指導に力を注いでいる他校の部長だ。
前にこの台詞を聞いたとき、 トオルは 「後輩想いの先輩」 だと感動したことがある。
けれどそれは、 なにも村主がいい人だから、 言っているわけではなかった。
大きな大会では、 個人の力量だけでなく、 チーム内で 「いかに個々の役割を果たすか」 が、
勝ち進むための重要ポイントになってくる。
個人が勝っても、チーム内での役割をこなさなければ、 先に進めないという意味だ。
ハルキに関して言えば、 たとえ初戦でドロップショットを駆使して勝ったとしても、
切り札を見せてしまっては、 次の試合で不利になる。
チームで連戦することを頭に入れて戦わなければ、 個人の勝利は意味がない。
地区大会に向けての、 先輩たちのシビアな一面を見せられた気がした。
最後に、 日高がトドメを刺した。
「身内同士の試合ならともかく、 相手が見えない大会じゃ、 さきに手の内見せたほうが負けなんだよ。
そんな甘い考えで、 うちのレギュラー取れると思うな!」
日高の顔からは、 強豪といわれる光陵テニス部の、 コーチの威厳がうかがえた。
いたたまれなくなったのか、 ハルキは外へと飛び出して行った。
紳士的なトレーナーに囲まれて育ったハルキは、 ここまでコテンパンに言われた経験など
恐らくなかったのだろう。
大差で勝った試合を 「ボロクソ」 に言われ、 彼のプライドはズタズタだ。
しかも最も 「ボロクソ」 に言われた相手は、 自分の父親だ。
他人にはわからない、 悔しさもあったに違いない。
とっさに、 トオルはハルキの後を追うために、 会議室を出ようとしていた。
自分でも不思議だった。
ハルキは嫌なヤツだし、 なにかと自分に突っかかってくる。
けれどトオルの中では、 昨日の試合を通して、 ハルキを 「尊敬すべき強いプレイヤー」 として
認め始めていた。
それに、 昨日の自分の行動を考えると 、誰かがフォローしてやらなければ、 とも思っていた。
試合後の自分には 、奈緒がいて、 唐沢がいて、 勘太たちがいた。
負けて最低な気分のあとに、 寄り添ってくれる仲間たちがいた。
残念ながら、 今のハルキを追いかけようとする者は、 トオルの他には誰もいない。
自分が行かなきゃと思って、 出口に向かったときだった。
成田が、 後を追うトオルに向かって忠告した。
「真嶋。 ミーティングの途中で、 無断退出した者は、 一週間の部室掃除だぞ」
一瞬、 トオルの足が止った。
ヤンチャ坊主の集団を取りまとめるには、 これぐらいの規定を作らなければ
容易に束ねられるものではない。
しかしトオルは、 部室掃除に怯んで止ったのではなかった。
「部室掃除より、 そんな事より、 オレは仲間の方が大事ですから。
掃除あとでやります。 失礼します!」
部長にペコリと頭を下げて、 トオルは急いで、 ハルキの後を追いかけていった。
さっきまで居眠りしていた恩ジイがぽつりとつぶやく。
「春はいいですねえ、 日高コーチ。 新しい風が入ってきますから」
「トオルの奴、 ますます、 龍に似てきやがった …… 」
日高はトオルを目で追いながら、 深いため息をついていた。
ハルキは屋上にいた。
悔しさに耐えているかのように、 屋上の金網を力いっぱい握り締めたまま、 ただ一点を見つめていた。
「ハルキ …… 」
トオルに気がついたハルキは、 これ以上ないというほど睨みつけてきた。
「なんだよ、 笑いに来たのかよ。 いいザマだと、 思っているんだろう」
「ンな事、 思ってるワケないだろうが」
「おまえは、 お気楽でいいよな。 1ゲームでも取れば、 ちゃんと部長から誉めてもらえるんだもんな」
皮肉たっぷりにハルキは絡んでくるが、 トオルには、 昨日の自分の姿と重なって見えていた。
「ハルキさ …… オマエ、 勝つのと、 試合に出るのと、 どっちが大事なんだよ?」
「なに、 すっとぼけたこと言ってんだ? 試合に出て勝つ。 それしかないだろう?」
「いや、 どっちかだ。 勝つことと、 試合に出るのと、 どちらかしか選べなければ、 どっちを選ぶ?」
トオルは努めて静かな口調で、 問いかけていた。
「どっちかしか選べないなら、 勝つほうだ」
しばらく考えたあとで、 ハルキは答えを出した。
さっきよりは、 少し落ち着いたらしい。
「だろ? オレ、 テニスの事は、 よくわかんないけどさ。
部長たちが言っていたのは、 そういう事なんじゃねエか?」
「 …… 」
ハルキは、 黙って聞いている。
「チームが勝たなきゃ、 次には進めない。 だから勝つほうが、 いまは大事なんだ、 きっと」
「おまえ説教するつもりなら、 俺に勝ってからにしてくれない?」
理屈はハルキにもわかっていたが、 トオルに言われるのが悔しかった。
「説教じゃねえって。 ただ、 オレ …… おまえと一緒に行ってみたいから。
都大会も、 関東大会も、 それから、 全国大会ってヤツも」
「は …… ? なんで!?」
「おまえは、 オレの仲間だから …… 」
「バカじゃないの? おまえはオレをぶっ倒すんじゃなかったのか?」
そこまで言って、 ハルキは前にも同じような会話をした事を思い出した。
「ああ、 そうだ。 けど …… 」
トオルが続きを言おうとすると、 ハルキがさえぎった。
「戦う奴が仲間だっていいじゃねえか …… そう言いたいんだろう?
パターン読めているんだよ。 やっぱり、おまえはバカだ」
「ああ、オレはバカだ。 昨日、 よくわかった。 だけど、 これから必ず強くなる」
再戦の申し出とも取れるライバルの言葉に、 ハルキは自分にはない 「たくましさ」 を感じる。
昨日の負け試合の後で、 ここまで前向きになれる精神力。
ずっとムカついていた原因は、 自分にはないタフな精神力を、 目の前のライバルが持っていると
本能的に感じ取っていたからだ。
きのうの試合後の、 トオルと唐沢のやり取りを、 ハルキも見て知っていた。
トオルが悔しさのあまり、 先輩に暴言を吐いていたことも。
正直、 気分爽快だった。
真嶋教授の理論より、 自分の努力が勝ったのだ。
周りの連中にも、 実力の差を見せつけて、 大満足だった …… 昨日までは。
ところが、 今日のミーティングで、 ハルキもまた、 未熟だと思い知らされた。
自分がトオルだったら、 「ざまあみろ」 と思ったに違いない。
にもかかわらず、 ヤツはそんな自分を、 罰当番を覚悟のうえで、 追いかけてきたのだ。
理由もわからずムカついて見えた初心者を、自分よりもはるかに器の大きい男として、認めざるを得なかった。
「わかったよ。 俺も、 おまえとなら、 一緒に …… 」
本当は、 「全国大会まで、 行けそうな気がしてきた」 と言おうとして、 急に照れ臭くなった。
ハルキは続きをこう変えた。
「一緒に 部室の掃除当番、 やってやってもいいぜ」