第2話 転校生


朝のホームルームが始まろうとしていた。
塔子と詩織は、 さっきの少年が 「だらしない」 か、「ワイルド」 かで、
いつまでも揉めていた。
確かに好みの違いで、 自分のタイプであれば、だらしないが
ワイルドに見えてしまうものである。
だが、 奈緒の記憶では、 どちらとも言い難かった。
琥珀色の澄んだ瞳。
覚えているのはそれだけだったが、 口にはしなかった。
なぜなら 、塔子と詩織からは 、瞳の色など見て取れるはずも
なく、 至近距離ならではの印象だから。
左眼の上の傷も、遠くから見れば長い前髪に隠れて見えないだろう。

「至近距離ならでは……」 と思うと恥ずかしかった。
ふいに今朝の占いの言葉が頭をよぎる。
「運命の人との出会い…… ?」
いや、 そう思うには何かが、 おかしかった。
落ち着いて思い出してみる。 不思議な格好をしていた。
よく見てなかったけど、 何かがミスマッチしていたような ―― ひとつひとつ 、振り返ってみる。
まず、うちの学校の制服。 だらしなく着ていたが、 おかしくはなかった。
髪もボサボサととるか、 ルーズに散らしている感じるかは微妙だが、 制服とミスマッチではない。

「なんだろう? 思い出せないなあ…… 」 と奈緒が顔を上げて、 記憶を呼び戻そうとした時、
いつも几帳面で気難しい担任が、 一段と険しい表情で教室に入ってきた。
他のクラスの担任がジャージや、 シャツのみの軽装に対し、 奈緒のクラスの担任は、
ジャケットとネクタイを必ず着用し、 鏡のように磨かれた靴とセットで登場する。
分け目がまっすぐ直線に見えるヘアスタイルは、 その几帳面な性格を露わにしている。
「一糸乱れぬ」 という表現があるが、 彼の頭髪は 「一髪乱れぬ」 とでも言おうか、
全体にジェルか、ワックスで塗り固められ、 それを見事に7対3の割合で 分けている。
いわゆる七三というやつだ。
ずり落ちてもいないのに、 何度も 眼鏡を鼻の上に押し戻している様子から察するに、
今朝は一段と機嫌が悪いようだ。
例えば、 教室のドアが開けっ放しだったとか、 廊下にゴミが落ちていたとか、
彼が不機嫌になる原因は、 いくらでも想像できた。
そして、 そのとばっちりが、 最前列の席にいる生徒まで及ぶので、
奈緒は毎朝、 この時間を緊張の面持ちで迎えている。

険しい表情のまま担任が口を開いた。
「え〜、 今朝は転校生が来る予定でしたが…… 」 と言い終わらないうちに、 教室のドアがガラリと開いた。
「お〜っ! ラッキー! やっと見つけたぜ、 1年4組。
まったく、 教室多すぎだぜ。 これだから都会の学校って面倒だよな」
そこには今朝の少年が立っていた。 担任の眉間が狭くなる。
「き、きみは…… !」
「あ、あんた大塚先生! オレ、 今日から1年4組に転入の真嶋透。 よろしくな!」
担任の眉間がさらに狭くなり、 シワが深くなった。
これで担任の不機嫌な原因がハッキリした。
遅刻 …… しかも転校初日の遅刻らしい。
几帳面で規律を重んじる担任には、 信じがたい出来事なのだろう、 今にも失神しそうである。
「き、きみは、 転校初日に遅刻したと言うのに、 な、何ですか、 その態度は!」
ようやく言葉を発する事が出来たようだ。

「あ、おまえ…… 今朝の …… 名前なんだっけ?」
少年の視線が、 前列の奈緒に向けられた。 大塚の憤慨に全く気づかず、 話しかけている。
「あの、 西村奈緒です。 今朝は、 その、 どうもありがとう」
手短に答えた。 大塚が睨みつけていたのだ。
「いや、 あれはオレが悪かったって。 避けきれると思ったらさ〜。 奈緒、 おまえ軽すぎ。
どうした、 奈緒? あ、そっか、 オレの名前? 真嶋トオル。 よろしくな」
爆発寸前の大塚を背景に、 平然と奈緒に話しかけている 少年の大胆な行動に、 教室中が凍っていた。
担任の顔は、 まるでハワイ島の火山噴火を、 ビデオで早送りしているようだ。
まず、言葉にならない唇の震えから始まる 「地響き」、 連動して肩がワナワナと震える 「地震」、
徐々に深くなっていく眉間のシワと同じ状態の 「地割れ」、 最後に噴火 …… 大塚の表情そのものだった。
そして、 その担任の噴火に巻き込まれるのは、 間違いなく奈緒だった。
「ま、 真嶋君! き、きょ、教室の規律を 、み、乱す生徒は …… は、反省 …… ろ、廊下に立って ……!」
どうやら、 大塚は 「地響き」 のせいで、 まともに言葉が発せられない様子だ。

不意に奈緒の視界が、 大塚の噴火から 「麻袋」 に変わった。
今日はこれで二度目だ。 切羽詰ったときの無駄な思考。
今は、 どうやって、 大塚の噴火を回避するかを、 考えなければならないはずなのに。
しかし奈緒は、 突然視界に現れた 麻袋 に視線も、 思考も釘付けになった。
何故なら、 今朝から悩んでいたミスマッチの謎が解けたからだ。
ずっと、 おかしいと感じていた原因は、 トオルが背中に背負っている、 この麻袋 だ。
たぶん、 カバンの役割を果たしているのだろう、 そこには古いテニスラケットが差し込んであった。
よく見ると、 ジャガイモをキロ単位で買う時に入っている 袋のようでもあった。
それをカバンとして、 彼は背中に背負っていたのだ。
いまどき、 小学生でもそんなダサい格好はしない。
それを中学生の制服を着て、 背負っていたから ミスマッチに見えたのだ。
恐らく、 先進国の中で麻袋を カバン代わりに背負っている中学生は、 彼だけだろう。
「麻袋を背負った運命の人 ってちょっとキビシィ ……」
奈緒は無意識のうちに、 今朝読んだ占いの内容が、 間違っていることを望んでいた。

「先生、 熱でもあんのか? 顔、 真っ赤だ」
トオルが今朝と同じ心配そうな目で、 大塚を眺めている。
「おまえが怒らせたのだ ……」
恐らくクラス中の誰もが、 心の中でツッコミを入れているはずだ。
大塚は、 自分の出したマグマに対応しきれてないのか、 フガフガ言ったまま、 動けない。
怒り心頭とはこの事か、 自分の怒りが制御できずに、 何を言っているのか、 わからなくなっている。
几帳面な先生によくある現象だ。
自分のマニュアルの枠外で行動する、 トオルのような右脳人間が苦手なのである。
突飛な行動に対してのリアクションが出来ないのだ。
「オレ、 保健室まで連れっていってやろうか?
なあ、 奈緒、 保健室の場所教えてくれ」

もうひとつ、 教室が凍っているのには訳があった。
トオルが先ほどから奈緒の事を 「奈緒」 と呼び捨てしているのである。
転校してきたという事は、 奈緒とトオルは初対面のはずなのに、
彼はさっきから苗字ではなく、 名前のほうを呼び捨てしている。
それが周りの生徒にも、 異様な印象を植え付けていた。
「初対面で、 ここまで気さくにファーストネームを連呼する奴って……
きっと運命の人って、別の人だよね?」
奈緒は心底、 そう願っていた。

「真嶋君、 保健室には僕が連れて行くから、 君はこれ以上、 先生を怒らせないでくれ」
学級委員の宮越学が、 事態を収拾しようと席を立った。
「おっ、 サンキュー! おまえ、いい奴だな」
「別に、 君のためではありません。 このままだと授業に支障が起きるからです。
学級委員としてお願いします。 このまま静かに、 席についてください」
心の中で宮越は、 とても満足だった。
秩序に厳しい大塚でも 仕切れなかった生徒を大人しくさせ、
クラスを正常化させた、学級委員としての力量に、 自画自賛していた。
そして隣の席に座っている奈緒にも 、かなりのポイントを稼げたと思った。
宮越は入学当初から、 隣の席にいる奈緒の事が気に入っていた。
本人が内向的だと思っている性格が、 宮越には、いまどき貴重な 「大和撫子」 に見えたのだ。
その彼女の目の前で、 自分の手腕を発揮出来たのだから、 そう思うのも無理はない。
だが、 その満足感は3秒で消えた。
「へえ、 おまえ"学"っていうのかあ。 すっげえ〜、 よくマンガにでてくる学級委員とおんなじだ!」
トオルが 宮越の席にドッカと座りながら、 大声で叫んだ。
教室中が ドッ と笑いの渦に巻き込まれた。
まさしく、 宮越は 「絵に描いたような学級委員」 なのである。
校則どおりの髪型、 不自然なほどにキチンと着こなした制服、 そして、黒ぶち眼鏡 ……
もちろんレンズは厚く、 名前はトオルの言う通り、 学問の「学」 と書いて、 「まなぶ」 と読む。
「こういう学級委員、 いるいる〜」 の典型である。 当然、勉強もできます ……

ここで笑いが起きるという事は、 恐らくクラス中の誰もが、 入学当初から同じことを感じていたのだろう。
だが、 この手のデリケートな話題は、 もっと後になってから話題に上るものだ。
最初は、 クラスの中で仲良くなった友達と、 何かの拍子に話題になって、
それから徐々にクラスの中で噂となって広まっていくのが定石だ。
ところが、 この少年は、 初対面からそれを言ってのけてしまった。
「ま、 真嶋君、 き、きみは、 ぼ、ぼくを、 ば、ば、ばかにして ……!」
まずい …… 宮越がさっきの大塚と同じ症状だ。
トオルはキョトンとしていた。
彼には、 なぜ笑いが起きたのか、 なぜ、宮越が怒っているのか理解できない様子だった。
だが、 クラスのほとんどは、 この確信を突く笑いから、 まだ立ち直っていなかった。
少し前の凍るような緊張感が、 開放感へと変わり、 些細なことでも笑ってしまうのである。
ひどく怖い思いをした後に、 やたらヘラヘラしてしまうのと同じ現象が、 このクラスにも起きていた。
教室中、 笑いに対する抵抗力が低下していた。
しかも、 全員が思っていたのに口にしなかった事実が、 最高のタイミングで暴露され、
更に笑いが盛り上がりっている。
「学級委員ですから〜」 と無意味なセリフをつぶやく者まで現れた。
明らかに、 教室中が壊れている。

結局、 ホームルームが終るまで、 大塚と宮越は復活することはなかった。
しかも大塚から目をつけられたトオルは、 最前列の宮越の席に座ることになリ、
代わりに宮越は、奈緒の席から遠ざかってしまった。
宮越ちょっと気の毒 ……
「なあ、 奈緒。 なんで宮越は怒っているんだ? なんで、みんな笑うんだ?」
隣の席から、 トオルが奈緒に問いかける。
その様子から、 彼は全ての原因が自分にあるとは、 1ミリも思っていないらしい。
「神様、 どうか運命の人は 、別人と言ってください!」
奈緒はそう願わずにいられなかった。



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