第22話 新星 ・ 海南中

試合コート



つぎの試合に 間に合うように、 トオルは早めの昼食を
取ろうとしていた。
いつもの昼休みなら、 先輩の千葉や陽一朗がつるんでくるが、
さすがに今日だけは 雰囲気が違う。
ダブルスの陽一朗も、 シングルスに出場する千葉も
試合に向けて、 個々のやり方で 調整に入っている。
彼らが 集中できるよう配慮して、 トオルは控え室を
後にすると、 外で昼食を取ることにした。

会場の出口付近まで 来た時、 誰かの呼び止める声がした。
「よう、 トオル。 光陵も、 順当に 勝ち進んでいるようだな」
振り向くと、 海南中の部長 ・ 村主 (すぐり)が、 他の部員たちと共に、 芝生で弁当を広げていた。
地区大会の会場でなければ、 まるでピクニックに来ているような、 和やかな雰囲気だ。
いつも思うことだが、 海南中のメンバーは、 仲がいい。
個性派ぞろいの光陵にはない、 団結力がある。
どちらが良いとか悪いではなく、 単にトオルは、 海南中の輪の中にいるのが好きで、
よく一緒に 混ぜてもらっている。

「村主さん、 三回戦進出、 おめでとうございます!」
「おいおい、 光陵のオマエが 『おめでとう』 と言うのか?」
次の光陵の対戦相手は、 いまトオルの目の前にいる 村主たちで、
昼休みが終わると同時に、 敵となる関係だ。
にもかかわらず、 「おめでとう」 という無頓着ぶりは、 海南中の部員たちをも 驚かせていた。
「オレ、 光陵も応援してますけど、 海南中も応援してますから」
「ハハッ! 相変わらずだな、 おまえは」
村主は 苦笑しながらも、 この大らかな一年生の性格を、 かなり気に入っていた。
トオルも、 最初こそ怒鳴られもしたが、 彼を優れたプレイヤーとして尊敬し、 多くの影響を受けている。
どこにいても、 テニスの練習は出来る。
球拾いであろうと、 心がけ次第で練習になる。
この大切な基本姿勢を 教えてくれたのは、 ここにいる村主だ。
「大事なのは、 環境ではなく、 上手くなろうとする意志を持つこと」
一面のコートを 男女で兼用している、 海南の部長ならではの 教えである。

その村主を もっとも尊敬している伊達が、 おにぎりを頬張りながら、 声をかけてきた。
彼もまた、 トオルを可愛がってくれる 先輩の一人だ。
「メシまだなら、 こっちで一緒に喰うか?
お袋が、 多めに作りやがって。 良かったら、 喰ってくれ」
「でも、 お邪魔じゃ …… 」
「タ〜コ! ここまで、 うちに馴染んでおいて、 今さら邪魔に思う奴なんて、 いるわけないだろ!」
確かに、 伊達の言うとおりだ。
部活後の ストリートコートの練習で、 いつも顔を合わせている面々。
しかも、 帰りが遅くなったときは、 そのメンバーと共に、 村主にラーメンを ご馳走になっている。
ジャージこそ違うが、 トオルも海南テニス部の一員と 化しているのが現状だ。
「アハハ! そうッスよね。 それじゃ、 お邪魔します」

伊達と並んで、 おにぎりを口に入れていると、 石丸がジャージを差し出した。
「これ、 着ておいた方がいい。
おまえに、 そのつもりがなくても、 あらぬ噂をたてる奴は、 どこにでもいるから」
言われた意味がわからず、 キョトンとしていると、 伊達がとなりから補足を入れた。
「光陵の生徒が、 俺たちといれば、 どう見ても、 情報を流しているって思われるだろ。
この辺りじゃ、 光陵は強豪だし、 部活の後に 他校の部員と 練習しているヤツなんて、 普通はいないから」
どうやら、 トオルにスパイ容疑がかからないよう、 彼らは気を使っているらしい。
こういう 石丸の細かい気配りが、 村主の絶大な信頼を 得ている要因でもある。

「オレ、 やっぱり …… 」と、 立ち去ろうとするのを、 伊達が素早く引き止める。
「遠慮するガラじゃねえだろ? せっかくだから、 着てみろよ。 うちのレギュラージャージ。
そうだ、 いっそのこと、 おまえ海南中に転入するか?」
その冗談に応えるように、 周りから一斉に 笑い声が湧き上がった。
伊達は テニス部のなかで、 常にムードメーカーの役割を 果たしている。
短気で、 根っからの体育会系の性分だが、 決め細やかな一面を 合わせ持っている。
今の冗談にしても、 遠慮する仲間を気遣い、 とっさに飛ばした ジョークだ。
兄貴分で、 仲間を大切にしているわりには、 自分が気を使っているところを 見せない性格。
この点で 、伊達と千葉は よく似ている。

気心知れた仲間の輪に入り、 楽しく談笑したトオルは、
ここが 地区大会の会場だという自覚を なくしていた。
伊達の 宣言を聞くまでは  ――
「トオル。 おまえには悪いが、 今日の試合で俺たちは、 光陵から 『強豪』 の名をぶん取るつもりだ。
シングルスの 千葉ってヤツに、 『ナメてかかると痛い目みる』 と伝えておいてくれ」
その真剣な表情を 前にして、 トオルの背中が 凍りついた。
彼の一言で、 今まで和やかだった輪の雰囲気が 、徐々に緊迫したものへと 変わっていく。
まるで 敵陣に囲まれたリングの中に、 うっかり足を踏み入れたような 気分だった。
「強豪の名をぶん取る」
それは、 三年の月日をかけて、 ようやく同じ土俵にこぎつけた、 彼らの悲願であり、 決意表明でもある。
その あまりの迫力に 押されたトオルは、 「わかりました」 と答えるのが 精一杯だった。

海南中の輪を 抜けた後でも、 トオルはまだ緊張していた。
試合に出るわけでもないのに、 彼らの気迫に圧倒されて、 体が硬直したままだった。
今朝から 両校の対戦を 楽しみにしていた自分。
だが、 あの決意表明を聞いた 今となっては、 その考えが甘かったと 反省せざるを得ない。
この会場には、 参加した者全員を、 勝利と敗北に分断するという、 シビアな法則が存在する。
勝つための努力を、 より多くした者だけが、 最後の勝利側に 立つことができる。
それを決めるための 「真剣勝負の場」 だということを、 すっかり忘れて、はしゃいでいた。

人は、 己が優位な立場にたつと、 本来あるべき姿を 見失うものである。
口では 「応援している」 と言いながら、 トオルは、 光陵が勝つものと思っていた。
「強豪」 と呼ばれる自分の学校が、 自動的に優勝するものだと 信じ込んでいた。
十二面のコートを所有し、 きちんと組織化された レギュラーの編成。
充実した設備と、 優れた指導者は、 優勝への優待券のようなものだと 錯覚していた。
実際 、優待券かもしれない。
だが、 引換券ではない。
そのことを海南中は、 証明しようとしている。
彼らは、 設備こそ整っていないが、 勝つための努力は、 人の何倍もしてきている。
それは、 この二ヶ月間、 一緒に練習をしてきた自分が 一番よく知っている。
勝つための努力こそが、 もっとも手堅い引換券であり、 優勝を手にするための 切り札でもある。
その事実を思い出し、 トオルは敗北という名の緊張にとらわれ、 身動きできずにいた。

「よう、 トオル。 メシ、 喰ったか?」
いつもと あまり変わらない様子で、 千葉がトオルに 声をかけてきた。
「ええ、 まあ」
曖昧な返事をしながら、 さっきの伊達の伝言を、 どうやって切り出していいのか 迷っていた。
千葉に限って、 油断をしているとは 思えなかったが、 試合前だというのに、
かなりリラックスしているように見える。
選手によって、 試合前の準備の仕方は それぞれ違う。
個性派ぞろいの 光陵の選手は、 特にそうだ。
滝澤は、 鏡に向かって髪の手入れをしているし、 荒木は、 終始無言のまま、 天井をじっと見つめている。
伊東兄弟は、 「あっちむいてホイ」をして、 互いの集中力を高め合っていた。

「ケンタ先輩は、 準備しなくていいんですか?」
「いや、 俺の場合は、 特にない。 いつも通り、 自分のプレーをするだけだ」
トオルは思い切って、 さっきの決意表明を伝えることにした。
「へえ …… おまえ、 海南の連中と仲いいんだな」
遠慮しながら話したせいか、 話の要点が伝わらず、 千葉の興味は、 まったく違う方向に傾いている。
「そうじゃなくて、 ケンタ先輩? 伊達さんはですね …… 」
海南中を 侮ってはいけない。
それをどうやって、 先輩のプライドを傷つけずに 伝えるか。
脳と口が直結している 人間にとっては、 至難の業である。

「今年の海南は、 今までとは違う。
ケンタ 、俺からも言っておく。 あいつら、 ナメてかかると、 痛い目みるぞ」
いつからいたのか、 自分が伝えようとしたことを、 唐沢がズバリ言い当てていた。
さすが、 軍師の異名を持つ 副部長だけのことはある。
すでに彼は 海南の実情を、 把握しているに違いない。
副部長から指摘は、 とたんに千葉の顔色を 変えるほどの威力が あった。
「俺、 アップ入ります」
二人の助言 を真摯に受け止め、 千葉は早めのウォーミングアップをする為に、 その場を後にした。

役目を終えて ホッとしているトオルに、 唐沢が唐突に 質問をしてきた。
「おまえ、 海南の連中と親しいのか?」
「えっ …… ?」
今度は 自分の顔色が 変わる番だった。
石丸が 心配していたように、 スパイ容疑でも かかっているのだろうか。
やましいことは ないはずなのに、 疑われていると思うと、 妙に焦ってしまう。
けれどこの状況では、 ありのままを伝えるしか、 他に方法はない。
「えっと、 あの …… ストリートコートで、 一緒に練習を …… ときどき …… 」
「そんなに慌てて、 言い訳しなくてもいい。 俺は 村主とは、 ちょっとした知り合いだから、
アイツが どういう人間かは、 よくわかっているつもりだ」
「そうだったんですか …… よかった〜」
「なにが?」
「いえ、 べつに …… 」
悪いことをしていないのだから、 最初から堂々としていればいいのだが、 未熟な一年生には 無理な話だ。
疑われれば、 焦ってしまうし、 容疑が晴れれば、 ホッとする。
スパイ疑惑から 解放され、 急に背筋が伸びたトオルに 、新たな質問が 投げかけられる。
「真嶋は、 アイツらのこと、 どう思う?」
「どうって …… とにかく、 すっげエ人達です」
「おまえね。 もう少し、 形容詞を 使って話してみろ。
これから、 『すっげエ』 禁句な」

「すっげエ」を 禁じられたトオルは、 普段から 理論的に判断をしていないことを、 改めて痛感させられた。
実力があるとか、 練習量が多いとか、 団結力があるとか。
分析しなければならない状況を、 すべて 「すっげエ」 で片付けてしまっていた。
トオルは 頭の中を整理しながら、 改めて先輩の質問に 答えを出した。
「まず、 練習量が ハンパじゃなく多いのと、 トレーニング内容が 豊富だと思いました。
コートで打つだけが 練習じゃないって、 オレ、 あの人達から 教わりましたから。
それと …… 村主さんを中心に、 団結力があって、 各選手が個々の役割を 心得ているように思います」
これだけの内容を 「すっげエ」 のひと言で片付けていたとは、 怠慢にも程があると 反省した。
「なるほどな …… で、 おまえは テニス部に団結力って、 必要だと思うか?」
「そう言われれば、 テニスは個人プレーだし、 必要ない …… ?
でも、 海南を見ていると、 それが、 選手の気迫のに つながっているようで、 すっげエ ……
あ、 いや、 精神面では大事なのかと …… 」
やはり 「すっげエ」 を禁句にされると、 ボキャブラリーの半分を 封じられたような 不自由さがある。
だがそれは、 物事を整理しないで、 頭の中に放置している証拠であり、
先輩から出された 課題のような気がした。

トオルの返事を 聞きながら、 唐沢はさっきから 厳しい表情を崩さなかった。
ダブルス初戦の 滝澤 ・ 荒木ペアが、 目の前で 苦戦しているのだ。
相手の海南のペアは、 小柄な体型にもかかわらず、 荒木のパワーショットを ことごとく返球していた。
ダブルバックの守りの陣型と、 ロブを組み合わせながら、 「荒木封じ作戦」 を展開している。
試合から 目を離すことなく、 唐沢が再び質問をする。
「毎日、 通っているのか、 あのコート?」
どうやら、 先輩もストリートコートの存在を、 知っているらしい。
「はい」 とだけ、 トオルも答えた。
お互い一歩も引かない、 シーソーゲームの行方が 気になっていたからだ。

ゲームカウントが 「1−1」、 「2−2」、 「3−3」、 「4−4」というように、
お互いのサービスゲームを、 きっちりとキープしたまま、 勝敗の行方が まったく見えない。
それは、 相手のダブルスペアの 実力の高さを、 物語っている。
さきほど 感じた敗北の緊張感が、 ふたたび体に甦る。
「試合展開っていうのは、 川の流れによく似ている」
おもむろに 唐沢が口を開いた。
「流れに逆らって 無理をすれば、 モロい箇所から削られる。 油断したところから、 崩される。
だけど、どんなに勢いのある川でも、 かならず流れを変えられる、 緩やかなポイントがあるはずだ。
要は、 そこを冷静に 見極められるかが 、勝敗の分かれ道だ」
直感的にトオルは、 この第9ゲームが、 その分かれ道だと感じた。
そして、 その予感は正しかった。

第9ゲームに入るとすぐに、 滝澤と荒木も陣型を、 ダブルバックに チェンジした。
両校とも ダブルバックの陣型を とっている。
双方で 守りの体制に入って、 持久戦に持ち込むのかと思われたが、
すかさず、 滝澤が ネット際に落ちるボールを 連打し始めた。
ハルキのドロップショットほど、 急激に落ちることはなかったが、
後方に構えていた相手のペアは、 前後に揺さぶられることになり、 かなり苦戦している。
しかも、 あるていど体力を消耗したあとの、 この時点での揺さぶりは、
試合経験の浅い海南のペアには、 効果てき面だ。
滝澤のショットにつられた相手が、 前に出た瞬間、 荒木が前方から、 隙の出来た箇所へボレーを決める。
いつもの勝ちパターンを 見せている。
唐沢のいう 「流れを変えるポイント」 とは、 やはりこの第9ゲームのことだった。
それ以前のゲームで、 この作戦を取ったとしても、
まだ相手の体力に余裕があるうちは、 効果はほとんどない。
かと言って、 最終ゲームまで持ち込んでは、 前後に移動する荒木の体力が 危うくなる。
まさに、 今が絶好のタイミングだ。

「そう言えば、 オマエ、 滝澤に口説かれていただろう?」
唐沢から、 厳しい表情が消えていた。
「あ、 いえ、 あれは…… 」
再びトオルは 慌てていた。
この質問こそ、 やましいことは 一つもないはず。
それなのに、 どういうわけか 、さっきの質問以上に 焦りを感じる。
「アイツは、 ゲームの流れを引き寄せるのが、 抜群に上手い。
流れを読むという点では、 ダブルスもシングルスも、 そう変わりはないから、仲良くしておくんだな。
いろいろ教えてくれるぜ」
焦りまくる 後輩に向って、 顔色一つ変えずに 唐沢が助言する。
「な、 仲良くって、 言ってもですね…… その …… 」
トオルは シドロモドロになっていた。
また あの気色悪い感触が、 耳元で復活した。
滝澤から 吹きかけられた、 少し湿った感じの、 生温かい吐息の感触が。
「ま、 ひと晩ぐらいは我慢してさ。 目つぶっていれば、 だいじょうぶだ。
強くなりたいんだろ?」
「な、 な、 なに言ってるんですか、 先輩! オレ、 そんな趣味ないッスよ」
そこまで答えてから、 トオルは、 先輩に からかわれているだけだと 気がついた。
唐沢は 腕組みしながら、 純粋な後輩の反応を、 にこやかな笑みまで 浮かべて 楽しんでいる。
「もしかして先輩 …… オレのこと、 からかって 遊んでいませんか?」
「う〜ん、 遊んでいるって言うよりも、 暇つぶし?
もう、 勝敗が見えちゃったから」

よく 「あの人、いい人なんだけど、実力がね〜」 というフレーズを 耳にする。
けれど、 唐沢の場合は 「あの人、 悪い人なんだけど、 実力はあるんだよね〜」という
逆パターンが 成立してしまう。
その証拠に、 彼がトオルをからかい始めた 数分後に、 光陵が勝利を 決めていた。
唐沢の頭の中では、 第9ゲームの攻撃を見て、 この勝負の行方が 見えていたということだ。
考えようによっては、 彼もまた、 滝澤と同様、 試合の流れを 読む達人に 違いない。
性格はともかく、 人柄もおいといて、 ギャンブルの趣味にも 目をつぶれば、
唐沢は副部長として、 この上なく頼れる存在だ。
多数の但し書きが ついてしまうが、 やはり強豪の名を持つテニス部で、
副部長を任されるだけのことはある。
「彼が笑っているうちは、 光陵に勝算がある」
ついさっきまで、 敗北という緊張感に 支配されていたトオルには、 彼の存在が 飛び抜けて心強く映った。
「悪い人なんだけど …… 」と、 心の中で多くの注意書きを足しながら、
トオルは 先輩としての唐沢を、 尊敬し始めていた。



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