第34話 立ち葵 (前編)
「聞いて聞いて、 奈緒! 昨日大変だったんだから」
朝から高いテンションで飛びついてくるのは、 顔を見なくても
塔子だとわかる。
「どうしたの?」
奈緒の振り返る間も惜しいらしく、 親友のマシンガントークは
すでに開始された。
「昨日ね、 高木と久保田が松林の不良どもに絡まれちゃって……」
塔子の話はいつも 「大変」 だが、 昨日は特に大変だったらしく、
クリクリッとした黒い瞳がいちだんと大きく見える。
「真嶋はやる気満々で乱闘に加わるし、 やじ馬は集まってくるし……ホントに大変だったんだよぉ」
小刻みに連発してくる話を整理すると、 こうだった。
テニス部のマネージャーをしている塔子は、 昨日二人の部員に駅前のスポーツショップまで 買出しを頼んだ。
ところが、 いつもより部員の帰りが遅い。
心配になってトオルを連れて様子を見に行ったところ、
途中で二人が不良に絡まれているところに出くわした。
相手は柄の悪さで有名な松林中学の生徒たち。
止めに入る立場のトオルは、 「オレの仲間に手出すな」 と不良たちに飛びかかり、
さらに騒ぎを大きくする始末。
結局、塔子が警察を呼ぶ振りをして、 ようやくその場を切り抜けたという内容だった。
「アタシがいなかったら、 どうなっていたか。
都大会前だっつうのに、 どいつもこいつも!」
昨日の出来事を思い出し、 塔子はふたたび憤慨している。
「アハハ……」
奈緒は思わず苦笑いをした。
季崎との一件を思い出せば、 トオルがケンカを買うまでの一連の行動が手にとるようにわかる。
トオルは決して自分から絡んだり、 手を出したりはしない。
だが反対に、 仲間が絡まれたりケンカを売られた場合には、 躊躇せず自分から挑んでしまう性格だ。
奈緒は彼のそういう気性が嫌いではないが、 テニス部でこれから活動していくとなると話は別だ。
塔子の言う通り、 都大会を前にしてノンレギュラーと言えど、
他校との揉めごとは控えなくてはならない。
「しかもさあ……」
塔子が声を潜めて続ける。
「そのなかに唐沢先輩の弟がいて、 噂どおりのワルでさ……
髪の毛なんかオレンジに染めちゃって、 『いかにもヤンキーです』 って感じで」
「えっ!? その人って唐沢先輩の弟なの?」
そのオレンジ髪の 「いかにもヤンキー」 の少年なら、 何度も駅前で見たことがある。
おそらく同一人物だ。 そんなインパクトのある生徒は、 この辺りで一人しかいない。
「知らなかった? お兄さん二人は光陵に入学出来たんだけどね。
末っ子はココ落ちて松林に行ったらしいよ。 それが原因であんな風になったって」
「でも、その人……見かけほど悪い人じゃないと思う……」
とっさに奈緒はその少年をかばっていた。
なぜなら、ほんのわずかだが彼の内面を他の人よりも知っていたから ――
二ヶ月ほど前から、 奈緒はよく駅前の商店街へ寄り道をするようになった。
商店街の中にある小物や手芸品などを取り扱う店、 いわゆる雑貨店に立ち寄り、
そこで 「メロリン」 を眺め三十回ぐらい溜息をついてから家に帰る。
よくこのパターンをくり返していた。
メロリンは決して溜息が出るような高級品ではない。
たかだか450円のキーホルダー付きのマスコット人形だ。
それなのに奈緒に溜め息をつかせる理由は、 このメロリンが
「恋の願いを叶えてくれる」 という噂のあるキューピットだから。
姿かたちはネコだが、 メロリンには頭に二本の触角があり、 その先にはピンクのハートがついている。
噂ではこのハートの触覚が二本とも取れると、 両想いになるという話だ。
ちなみに一本だけ取れると、 片想いで終わるらしい。
前にトオルといる時に発見して以来、 ずっと奈緒はそれが欲しかった。
告白などと大それたことをしなくても、 触角が取れれば願いが叶う。
そんな小心者の救世主を、 なんとしても手に入れたかった。
しかしそれを買う勇気がどうしても沸かない。
メロリンを手にしてレジまで持っていけば済むことなのに。
財布にはいつも450円を用意しているというのに。
これを買うという事は、 「私は片想いをしています」 と公表していることに他ならない。
店の店員さんをはじめ、 見ず知らずの客にも教えることになる。
それが恥ずかしくて、 メロリンを手に取ることさえままならなかった。
そもそも買う勇気があるぐらいなら、 もう少しトオルとの仲も進展しているはず。
内気な少女と、 鈍感な少年との関係は、周りがペースを見失うほどゆったりとしか進んでいない。
その本人がいくら頑張ったところで、 店の前で溜め息をつくのが限界だった。
人混みの中で、 いかにもトロそうな女の子が一人で溜め息をついていれば、
かなり高い確率で危ない人達が声をかけてくる。
松林の不良も、 その危ない人達の一部に過ぎない。
時どき不良に絡まれては、例の少年に「弱い者イジメすんじゃねえ」と助けてもらう。
これも習慣のようになっていた。
怪訝な顔を向ける塔子に、 奈緒はその少年に助けてもらった話をした。
「奈緒、 お人好し過ぎ! そういうの 『お人バカ』 って言うの。
相手に下心とかあったらどうすんの? 助ける振りしてストーカーかもしれないんだよ」
あくまでも、 彼女は少年を信じていないようだ。
「そんなに悪い人じゃないよ、 きっと……」
唐沢の弟というだけあって、 その少年は兄と同様、端正な顔立ちをしていた。
すっきり伸びた鼻筋と、涼しげな目元が特に兄と似ている。 身長は唐沢より高かっただろうか。
派手な髪のせいで近寄りがたい雰囲気はあるが、 決して性格が悪いようには思えない。
奈緒の反論をあっさり無視して、 塔子のお説教が続く。
「まんま、 悪い人じゃないの! あのオレンジ髪の、 どこがいい人だって言うのよ?
だいいち男は何の見返りもなく女の子を助けたりしないんだから。
もっと気をつけなくちゃダメだよ、 奈緒!」
親友の 「マシンガン説教」 が続く中、 もう一人の親友の詩織が助け舟を出してくれた。
「それぐらいにしてあげなよぉ。 今日は、奈緒ちゃんの特別な日でしょ」
詩織に言われて、 塔子も思い出したようだ。
「あっ、 ゴメン! 詩織、 アレ持ってきてくれた?」
「もっちろん!」
親友二人が揃って、 奈緒の前に綺麗にラッピングされた包みを差し出した。
「奈緒! 13歳のお誕生日おめでとう!」
今朝の話ですっかり忘れていたが、 今日は奈緒の誕生日だった。
「マジッ!? オマエ、 今日が誕生日なのか?」
突然となりの席のトオルが会話に割り込んできた。
「う、 うん……」
好きな人からストレートに聞かれると、 どうしていいか戸惑ってしまう。
前からトオルに誕生日を知らせたい気持ちはあったが、
プレゼントを催促しているようで言い出せなかった。
動揺する奈緒を置いて、 親友二人は 「作戦成功」 とばかりに席に戻っていく。
プレゼントは包みだけではなかった。
隣にいるテニスのことしか頭にない鈍感な少年に、 今日が誕生日だと知らせること。
内気な奈緒の性格をよく知る親友ならではのプレゼントだった。
「そういうことは、 もっと早く言えよな」
ムッとした顔でトオルがこっちを見ている。
「で、 でも……」
好きな人から真っすぐ見つめられると、 その視線までも見惚れてしまう。
相手は怒っているというのに。
トオルの琥珀色した瞳が、 ドリップしたてのコーヒーの滴を思わせる。
どこまでも透通ったその滴は、 感情によってハチミツ色から漆黒まで忙しく変化する。
「オマエには世話になってんだからさ。
そうだ、 帰りになんか買ってやる。 部活終わってからになるけど、 いいか?」
「えっ? で、 でも……」
「カバンのお礼も中途半端だったしな」
「で、 でも……」
さっきから奈緒は 「でも」 しか発していない。
好きな人からプレゼントをもらうのだから、 断る理由は何もない。
しかし待ってましたとばかりに 「買って〜!」 と言えないのが、 小心者の特長である。
恥ずかしさから、 ついつい 「でも」 を連発してしまう。
「迷惑……か?」
「でも」 をまともに 「ノー」 だと解釈したのか、 トオルの声が トーンダウンしている。
「ううん、 違う! 違うッ! そ、 そんな事ない。
あの……お、 お願いします……」
最後の 「お願いします」 は消え入りそうな声になっている。 やっぱり恥ずかしい。
「また我慢してんじゃないのか?」
「ち、 違うよ……本当に」
彼女の意志を確認したトオルの目がハチミツ色に変わった。
「じゃあ決まりだな。 一緒にプレゼント買いに行こうぜ!」
学校から駅前の商店街へ行くまでには、 川をひとつ越さなければならなかった。
川と言っても、 それほど大きいわけでもなく橋もちゃんと架っている。
特に名のある川ではないが、 ここは奈緒にとって特別な思い入れのある場所だった。
桜が満開の頃、 トオルと初めて出会ったのがここだった。
危うく川に落ちそうになったところを、 間一髪で助けてもらった思い出の場所。
すでに花の時期は過ぎ、 代わりに芽吹いた緑の葉が、 今は桜並木の主役になっている。
しばらく続いた雨のせいか、 濡れた葉と土の双方から湿った風の匂いがした。
この最も風がうるおう時期、 奈緒には一つ楽しみがあった。
土手に郡をなして咲いている 「立ち葵」 の花。
ゆかしいピンクの花を伴い、 空に向かって凛と背筋を伸ばした姿は、
洗練された清らかさを映し出している。
「ねえ、 トオル。 アレ知ってる?」
奈緒は 「立ち葵」 の花を指差し聞いてみた。
「ピンクの……ヒマワリか?」
トオルは花の名前といえば、 ヒマワリかバラしか知らない。
大きい花はヒマワリで、 小さい花はバラだった。
「あれは立ち葵って言うんだよ。 下の方だけ花が咲いているの見える?」
土手にたたずむ立ち葵は、 まだ途中までしか花をつけていない。
「『梅雨葵』 って呼ぶ人もいるの。
下から順番に咲き出して一番上の花が咲く頃に、 ちょうど梅雨が終るから」
「すっげエ、 頭のいい花だなぁ」
花の話など男の子には興味がないかと思ったが、 トオルは素直に感心している。
「私ね 、六月生まれでしょ。 お誕生日はだいたい雨で……
だから、 あの花みたいに夏に向かって一生懸命準備している花を見ると、 なんだか嬉しくなるの」
「なんか 『らせん階段』 みたいだな、 あの花……
少し前なら何とも思わなかったと思うけど、 今はあの花スゴイと思う。
ああやって一つ一つ順番に咲かせて、 頂上目指してんだもんな」
「うん、 そうだね」
夏の案内役を務める花たちは、 どんよりとした曇り空さえも、 風景の一部に変えてしまう。
二人が同じ空間にいて、 同じものを見て、同じことを感じる。
それはこの上なく幸せで贅沢な時間だった。
思いを寄せる人と一緒にいられるということは、 優しい瞬間を限りなく紡ぎ出せるということ。
こういう時間をくれるのなら 、梅雨がもっと長くてもいいとさえ思ってしまう。
「オレはまだ足元しか咲いていないけど……あの花みたいに絶対てっぺんまで咲いてみせる」
トオルの視線が立ち葵の花のつぼみに向いている。
「だいじょうぶ。 トオルなら出来るよ、 きっと」
「オマエにそう言われると、 出来る気がするから不思議だよな。
まずはレギュラー取りに行かなねえとな!」
「応援しているよ」 と言おうとして、 奈緒は言葉が続かなかった。
思考が全く別の方向へと釘付けになったからだ。
向こう岸で、 例の少年が不良たちに取り囲まれている。
遠くから見る限りでは、 十人ぐらいはいるだろうか。
相手は松林と同じくガラの悪い芙蓉学園の生徒たちだ。
しかも、 少年はたった一人で応戦するつもりらしい。
「どうしよう」 と奈緒が言う前に、 トオルはすでに対岸に向かって走り出していた。
「弱い奴は群れたがるっていうのは、 本当だな……」
川原に着くと同時に、 トオルは不良たちに応戦する構えを見せた。
驚いたのは芙蓉の連中だけでなく、 例の少年も同じだった。
昨日 「オレの仲間に手出すな」 と啖呵を切った人間が、 なぜ自分の味方につこうとしているのか。
まるで見当がつかないといった面持ちだ。
「どういうつもりか知らねえが、 勝手にひとのケンカ横取りするんじゃねえよ!」
「それだけボコボコにされて、 よく言うぜ」
トオルの言うとおり、 少年は背後を二人に押さえられ、 残り全員で殴られ放題にやられていた。
「逃げたと思った仲間は、 別の仲間を呼びに行ったってワケか?」
不良の一人が冷やかし気味に笑う。
他の仲間は少年を残して逃げてしまったらしい。
「コイツが、 仲間のわけねえだろうがッ!」
殴られながらも、 その少年は強気で対抗している。
ようやく奈緒も川原に到着した時、 トオルの声が響き渡った。
「ああ、 仲間じゃねえよ。 コイツはオレのダチだッ!」
「はぁ……? もしかしてオマエ、 頭……弱いのか?」
少年がそう思うのも無理はない。 奈緒でさえ、 トオルの意図がわからない。
「オレのダチが世話になった。 だから、 オマエもオレのダチだ」
どうやらトオルの基準では、 仲間とダチは別らしい。
そして今朝、 奈緒がこの少年に助けてもらった話をとなりの席で聞いていたのだろう。
助けてもらった借りを返そうとしているようだ。
気持ちは嬉しいが、 好きな人から 「ダチ」 扱いされ、 奈緒は少々複雑な心境だった。
前の 「オレの女」 発言から比べれば、 かなりテンションが下がってしまう。
同時に心配でもあった。
相手はガラの悪さでは松林と一、 二を争う芙蓉の不良集団。
しかも人数は十数人、 こっちはケガをしている少年とトオルの二人。
奈緒も塔子のマネをして、 警察を呼ぶ振りをしようかと思った瞬間だった。
トオルの右の拳が少年の背後にいる一人に命中し、 振り向きざまに蹴り上げた左足が、
もう一人をふっ飛ばしていた。
一瞬のうちに二人を倒し、 例の少年は解放されている。
その早業は、 トオルがいかにケンカ慣れしているかを物語っていた。
「さっさと片付けさせてもらうぜ。 弱い奴倒したって、 意味ねえからな」
不敵な笑みを浮かべながら、 トオルは腕まくりしている。 まさに、やる気満々の状態だ。
それを合図に残りの連中が一斉に二人に襲いかかった。
恐らくほぼ全員が上級生だろう。
跳びかかられた不良に埋もれ、 一瞬二人が見えなくなった。
だが十秒後には、 全員があお向けに倒されていた。
さすがオレンジ色の髪をしているだけのことはある。
例の少年は解放されたと同時に、 トオルに負けず劣らずの素早さをみせている。
警察を呼ぶ振りをする必要はどこにもなかった。
気絶している不良たちを横目に、 少年がトオルに向き直った。
「やるじゃねえか。 俺、 唐沢疾斗。 オマエは?」
「トオルだ。 真嶋トオル」
「トオル、 今日のところは礼言っとく。 だけど二度と余計なことすんな」
疾斗 (はやと) の目は、 まだトオルを警戒しているようだった。
いきなりダチと言われて 「はい、 そうですか」 と、 受け入れられる人間はそういない。
「ダチの借りを返しただけだ。 オマエのケンカを横取りする気はない」
疾斗は奈緒に目をやると、 「ダチの借り」 の意味するところを理解したようだった。
「別に……オマエの友達を助けたかった訳じゃない。 ただ弱い者イジメが嫌いなだけだ」
「他の仲間は、 疾斗おいて逃げたのか?」
「疾斗って……呼び捨てすんじゃねえよ!
オマエ一年だろ? 俺は二年だッ!」
警戒心を更に強めて、 疾斗が抗議してきた。
「いや、 オマエはオレの先輩じゃないから。 ダチは呼び捨てだろ、 普通?」
「ふん、 今日のところはいいや」
「なんで逃げなかったんだ? 一人じゃヤバイって、 わかっていただろ?」
「逃げるくらいなら、 負けた方がマシだろ」
「それもそうだな」
驚きもせず同感とばかりに頷くトオルの反応を見て、 このとき初めて疾斗が笑ったように見えた。
しかしトオルの背中のラケットを見るなり、 すぐにもとの警戒する目に戻っていた。
「おまえ、 テニス部か?」
「ああ。 疾斗はテニスやらないのか?」
「やらない。 兄貴達みたいに、 なりたくねえから……」
吐き捨てるように、 そう言うと、 疾斗はそのまま口を閉ざしてしまった。
その隣でトオルが首をかしげている。
きっと「兄貴達みたいに、なりたくない」という意味を図りかねているのだろう。
「兄貴達みたいになりたい」 と言うのなら、 よくわかる。
現に唐沢に憧れているテニス部員はたくさんいる。
だが疾斗には、 そう言わせる確執のようなものが見え隠れしていた。
もう少し彼の話を聞いてみようと、 奈緒が土手に近づいたときだった。
「やっべえ! 奈緒、 奈緒ッ!」
すっかり暗くなった景色に気づき、 トオルが大慌てで駆け寄ってきた。
「奈緒、 ゆっくり見物してんなよッ! 店、 閉まっちまうじゃねえか!
誕生日プレゼント買いに行くぞ、 急げ」
言うが早いか、 トオルは奈緒の手をつかんで猛ダッシュし始めた。
呆気にとられる疾斗を川原に残し、 奈緒は引きずられるように駅前に向かって走らされた。