第34話 立ち葵 (後編)

駅前夜景イメージ



時間的に飲食店以外は、 どの店も閉店の準備を始めていた。
何を買ってもらうかも決めていないのに、 トオルは一体
どこへ行こうというのか。
そう考えた拍子に転んでしまった。
やはり十三歳になっても、 二つの事を同時にやるのは
無理がある。
二つの事というのは 「走ること」 と 「考えること」 で、
トロい奈緒にとっては充分二つの事だった。
「だいじょうぶか、 奈緒? わりィ、 引っ張りすぎた……」
「ううん、 平気。 それより 今日はもういいよ。 お店も閉まっちゃうし」
「ダメだって! 今日が誕生日なんだろ?」
「でも……」
「わかった。 ちょっと、 ここで待ってろ」
二人が同じスピードで走るのは無理だと気づいたのか、 トオルは奈緒を駅前において走り去っていった。

駅前の広場では噴水がライトアップされ、 夕方の雑踏しか知らない奈緒には何倍も華やかに感じた。
明るい時間には目立たないものたちが、 次々と暗闇の中から登場する。
ほの白い光に照らされた時計台。 車のテールランプと、 原色に彩られたビルの看板たち。
人も車も建物も、 それぞれが昼と夜の二つの顔を使い分けているように見えた。
忙しく動きまわる生気のない昼の顔と、 華やかに浮かび上がる夜の素顔。
人目をはばかることもなく、 会うなり抱き合うカップルが視界に入る。
通学に使われる駅前は、 これから夜の時間を過ごすための待ち合わせ場所に変わっていた。
思わず奈緒はうつむいてしまった。
自分が不釣合いな場所にいるような気がして、 ひどく居心地が悪い。
三オクターブは高いと思われる女性の甘えた声と、 それを歓迎するかのような男の低い声。
高いヒールの音と、 滑り出す車のエンジン音。
煙草の煙と、 香水の匂いと。
「トオル……」
心細さから、 つい口にした名前。
目の前で繰り広げられる大人達の演出の中で、 彼の澄んだ瞳がふと浮かんだ。
朝のドリップしたてのコーヒーを思わせるような琥珀色の瞳。
戻ってきて欲しい、 今すぐ ―― わずかなコロンの香りさえも 「くっせー!」 と言い切る彼に。

「わりィ! 待ったか?」
顔を上げると、 トオルが息を切らしながら目の前に立っていた。
「うん、 ちょっとだけ……」
時間の長さを言ったのではない。
本当に待っていたから。 少しの間しか離れていなくても、 トオルに会いたいと思ったから。
「店が混んでいて……ごめんな。
奈緒、 元気ないぞ。 何かあったか?」
琥珀色に陰りが見える。
「ううん、 だいじょうぶ。 もう……会えたから……」
いちばん会いたいと願った人が、 今はすぐ傍にいてくれるから。
「んじゃ、 改めて……誕生日おめでとう、 奈緒!
これプレゼントだ」
暗がりの中で、 いつものトオルの優しい目がこっちを覗き込んでいる。
そして瞳の中に映るのは、 華やかな電飾ではなく、 ゆらゆらと揺れるピンク色の小さなスラップ。
一瞬、 奈緒は目を疑った。
「トオル、 これって……」
「オマエ、 こういうの好きなんだろ?」
顔の前でぶら下げられているのは、 ネコキューピットのメロリンだった。
二ヶ月も前のことなのに、 奈緒が欲しそうに眺めていたのを覚えていたらしい。
「オマエが欲しがっていた キーホルダーの方が売り切れていて……
来年はもうちょっとマシなのやるから、 今年はこれでカンベンな」
照れ臭そうに差し出されたメロリンには、 ちゃんと二本の触覚がついている。
本物だ。 本物のメロリンのストラップバージョンだ。

本物とわかっても、 奈緒はまだ言葉に詰まっていた。
トオルはメロリンの噂を知っているのではないだろうか。
恋の願いを叶えてくれるキューピットだということを。
声の出せない奈緒に向かって、 トオルがメロリンをつついてきた。
「なあ、 これって……」
内心ドキッとした。
やはりメロリンがどういう物か知っているのでは ―― そう考えただけで心臓が口から飛び出そうだった。
自分が恋をしているという事を、 よりによって相手にわかってしまうなんて。
店員さんにバレるよりも、 もっと恥ずかしい。
けれど次の言葉を聞いて、 その驚きは無駄だとわかった。
「ネコか、 虫か……どっちだ?」
メロリンの姿かたちは、 誰がどう見ても否定しようのないネコだった。
にもかかわらずハートの触覚があるせいか、 トオルはメロリンを虫だと誤解している。
やはりキューピットの正体を知らないらしい。
でなければ 「虫か?」 と聞きながら、 触覚を引っ張ったりはしない。

「あっ、 触覚はダメ!」
慌てて奈緒は恋の神様を胸元に避難させた。
トオルは キーホルダーのメロリンに大車輪をさせた前科がある。
これ以上神様に失礼なことをしたら、 きっと罰が当たるに違いない。
それに、 ここで無理やり触覚を取られては、せっかくのおまじないが台無しだ。
この触覚はあくまでも自然に取れないと意味がない。
「プッ! オマエ……結構ガキっぽいとこあるんだな」
真剣に人形をかばう奈緒を見て、 トオルが吹き出した。
屈託のないその笑顔は、 どんな華やかなライトよりも眩しく見える。

今日の誕生日は忘れない。
きっと大人になってからも。
「トオル、 本当にありがとう。 すごく……すっごく、 うれしい」
トオルがメロリンの事を覚えていて、 閉店間際の店まで買いに走ってくれた。
その飾らない優しさが嬉しかった。
「たかが450円で大げさなヤツだな」
トオルの笑顔が横向きに変わる。
「あの……トオルの誕生日はいつ……?」
彼の誕生日を聞くチャンスは、 この機会をおいて他にはない。
日常会話からさりげなく聞き出す芸当は、 奈緒には無理がある。
ありったけの勇気を振り絞って聞いてみた。
「12月7日」
12月7日ということは、 トオルはいて座。
ふたご座といて座の相性はどうだっただろう。
すごく良くはないけど、 悪くもないはず。 「そこそこ」 ということか。
納得のいかない奈緒はさらに質問を重ねた。
「血液型は?」
「A型」
O型とA型はたしか相性がいい。 胸の中に安堵が広がった。
メロリンをもらった直後に充分幸せだと思ったくせに、 今はもっと幸せだった。

さっきからトオルはずっと横を向いている。
誕生日や血液型の話がつまらなかったのだろうか。 返事がそっけない。
慌てて会話をつないでみる。
「じゃあ、 私もトオルのプレゼント考えておくね」
「いいよ、 オレのは。
オマエには世話になっているから、 あげたまでだから」
「困る……?」
「あ、 いや……そういうことじゃなくて……」
今度は、 トオルがうつむいている。
しかし奈緒のように恥ずかしくて下を向いているわけではなさそうだ。
なにか考え事をしているような、 決意を固めているような、 そんな感じだった。
「だったらプレゼントはいいから、 オマエにひとつ頼んでもいいか?」
顔を上げたトオルの目は真剣そのものだった。
「うん、 いいけど……?」
「今度のバリュエーション見に来てくれないか? オレ、 絶対レギュラー取りに行くから」
もともと奈緒は応援に行くつもりだった。
だが校内試合に自分が役に立つとは思えない。
トオルはすでに奈緒よりもテニスの腕は上だった。 知識的も技術的も格段に。
いくら昔テニススクールに通っていたとはいえ、 今のトオルに奈緒からのアドバイスなど必要ないはずだ。
不思議に思っていると、 トオルがボソッと付け足した。
「おまえが見ていてくれると、 勝てそうな気がするんだ。
だから頼のむ……な」
言い終わってから、 ふいっと視線を外されてしまった。
露骨に頭を掻く仕草は、 顔をさらに遠くに背けるための言い訳のように見えた。
奈緒は学園祭のときのトオルの横顔を思い出した。
照れ臭くなったとき、 彼は決まって横を向く。
そっけない返事の理由を知り、 奈緒に笑顔が戻る。
「トオルの好きな肉だんご……作っていくね」
返事をする彼女の胸元で、 メロリンのハートの触覚が小さく揺れていた。



バックアイコン前のお話にもどる  | エライアイコン輝・バックナンバーの目次に戻る  | ネクストアイコン次のお話へいく


バックナンバーを読んでくれてありがとう!
  輝・表紙に戻りたい人は、バックナンバー目次の"ホームズ"肉まんをクリックしてね!