第36話 ふたりの兄
奈緒から 『立ち葵』 の存在を知らされて以来、 トオルは
学校からの帰り道に川原へ立ち寄るのが習慣になっていた。
少しずつだがピンクの花は上に向かって開花していく。
「おっしゃ〜! もうちょっとで、 オマエら頂上制覇だな」
『梅雨葵』 とも呼ばれるこの花は、 一番上の花が咲いたとき
梅雨が終わると言われている。
夏に向けて密やかに努力しつづける花。
ひとつひとつ丁寧に、そして確実に。
その咲き具合を見るたび、 勇気とやる気がセットになって
沸いてくる。
「オレも負けねエかんな!」
清楚な花に向かって、 トオルがライバル宣言をしている時だった。
対岸で、 またも不良に囲まれ乱闘する疾斗(はやと)の姿が目に入った。
あの場所は不良グループのお約束の場なのだろう。
相手もまた芙蓉の連中だったが、 今回は全員が木刀を手にしている。
武器を持たずに素手で対抗する疾斗は、 ひどい傷を負いながら、 たった一人で応戦している。
「さっきの威勢はどこ行ったんだ?」
「俺らに土下座して謝るんなら、 終わりにしてやってもいいぜ」
どのくらい長い間やられていたのか、 疾斗の体は使い古した雑巾のようにボロボロにされていた。
急いで対岸まで駆けつけたトオルは、 相手の関心が自分に向くよう挑発し始めた。
「相変わらず、卑怯なマネしか出来ねえ奴らだな」
敵の人数を確認しながら、 背中のラケットに手を伸ばす。
相手が木刀を持っている以上、 こっちもラケットで応戦しなければ、 いちいち素手で受け止めていたら身が持たない。
「またこの間のガキか……
ちょうどいい。 ふたりまとめてやっちまえ!」
十数人の木刀を振り上げた連中が、 次々とトオルめがけて襲い掛かってきた。
「ったく、 素人はこれだから……
こういう危ないモンは、 練習してから振り回してくれよな」
日頃から、 剣道四段の父親に鍛えられているトオルの目には、 彼らの木刀はオモチャのようにしか映らない。
「素人」 扱いするのも無理からぬことである。
乱暴に振り下ろされる木刀を素早くラケットで防ぎ、 一人三発以内で仕留める手順は、
武術のパフォーマンスではないかと思うほど鮮やかなものだった。
そして五分と経たないうちに見せ場は終わった。
「だから練習してからにしろって言ったのに……」
ケロリと言ってのけるトオルの脇には、 素人集団の気絶の山が築かれていた。
「わりィ。 また疾斗のケンカ横取りしちまった」
「トオル……オマエどこのグループのリーダーだ?」
この手慣れた戦いぶりを見せられれば、 疾斗でなくてもそう思う。
「オレはただのテニス部員だ」
「んな訳ねえだろ。 兄貴達には内緒にしててやるから言ってみ」
「だから、 どこのグループにも入ってないって。
ただ、 こういうの日常茶飯事だから。 もっと性質 (たち) の悪い奴と……」
トオルは疾斗に肩を貸すと、 ケガ人に合わせてゆっくりと歩き始めた。
「おまえン家、 こっちでいいんだよな?」
「ああ、 わりィな……」
さすがに今は悪態をつく気力もないらしく、 疾斗は素直に従っている。
ストリートコートでの事件から三日と経っていない。
それでこの乱闘ぶりは、 いかに疾斗が荒れた生活を送っているかを表している。
「トオル……さっき言ってた 『もっと性質の悪い奴』 って……
オマエの兄貴か?」
まるで、 してはいけない質問をするかのように、 疾斗はためらいがちに聞いてきた。
彼自身も聞かれたくない話題を持ちかけたからだろう。
「いや、 親父だ」
「親父? オマエの親父って、そんなヒドイのか?」
「ああ、 オレの家には至る所にアイツの木刀が置いてある」
「マ、 マジで……?」
「オレが背中にラケット背負うようになったのも、 アイツから身を守るためだから」
トオルが背中に背負っているラケット。
これには大きな意味がある。
他の部員のような高価なラケットバックを買う金がないとか、むかしの仲間がくれたカバンを大事に使いたいからとか。
もちろんそれもある。
だが一番の理由は、 父 ・ 龍之介の木刀から 自分の身を守る武器が必要だったから。
血の気の多い父と息子の間では、 「親子喧嘩イコール乱闘」 が最もよく使われる方程式だった。
「オマエも身内で苦労しているんだ……」
ホッしたようなつぶやき声が疾斗の口から漏れた。 それと同時に肩にかかる重さが倍になる。
さっきから疾斗はトオルの肩に寄りかかっては、 また遠慮して離れるという行為をくり返していた。
その不器用な甘え方が、 トオルには身近なものに感じた。
「あまり身内って思いたくないんだけどさ」
普段は決して自分からしない父のことを、 トオルはごく自然に話し出していた。
ある日とつぜん転勤すると言い出し、 たった三日で岐阜からここまで強引に転校させられた事。
テニス部OBであるにもかかわらず、 息子のトオルにはテニスの存在すら教えてくれなかった事。
『闇の学園祭』と呼ばれる悪質な賭け将棋の創始者で、 且つ、 女好きの酒好きで、
息子の初めての試合の日にも酔っ払って家に帰ってこなかったこと。
疾斗の兄 ・ 北斗とは違う意味での 「伝説」 は、 いちど話し始めたら止まることはなかった。
世間的にはスポーツ科学の権威などと言われ、 尊敬する人も大勢いるが、
自分にとっては最悪の父親だということを、 疾斗にならわかってもらえるような気がした。
話を最後まで聞いてから、 疾斗は尊敬するような視線を向けてきた。
「オマエそんな親父に育てられて、 よくグレなかったな」
確かにそうだ。
わがままで、横暴で、 自己中心的な家族に振り回される環境は、 隣にいる疾斗となんら変わりがない。
ただ一つだけ、 トオルに違うものがあるとすれば――
「たぶん、 倒したい奴がいるから……かな?」
言い終わってから、 自分の発言が正しいかどうか少し考えてしまった。
憎らしいだけのハルキの存在は、 そんなにありがたいものではない。
しかしライバルを倒すという目標があったからこそ、 脇目もふらずに走ってこられたのも事実だ。
「うん、 そうだと思う……荒れる前に、 アイツと出会ったから。
暴れる時間も体力も、 奴を倒す方につぎ込んだんだ、きっと」
「ライバルってことか?」
「そんな洒落たモンじゃなくて、 なんかこう妙にムカつく奴なんだ。
倒すまでスッキリしないっつうか……」
ハルキの話になると、 トオルはなぜか握り拳を作ってしまう。
やはり、 ありがたい存在と言い切るには無理があるらしい。
トオルの握り拳が解かれる前に、 二人は目的地に到着した。
伊達の言うとおり、 疾斗の家は寺だった。
時代劇に出てきそうな重厚な造りの門の奥には、 手入れの行き届いた庭が玄関先まで続いている。
整然と並べられた敷石だけも、 一般家庭ではまず見られない光景だ。
石に沿うように庭木が植えられ、 足元の草花たちが彩を添えている。
あの花たちは、 四季折々に花をつけるのだろう。
豪華すぎず、 質素すぎずの選定が、 庭ばかりでなく古びた建物にも上品さを加えていた。
「なあ、 疾斗。 アレ、 立ち葵っていうの知っていたか?」
来客を出迎えるように、 門の脇には立ち葵の花が咲いていた。
「花なんて興味ねえよ」
「オレもちょっと前までなかったんだけど、 ダチが教えてくれたんだ。
あの花、 夏がくる頃に頂上の花咲かせるんだってさ」
トオルに言われて、 疾斗も改めて自宅の庭に咲く花に目を向けた。
「オレ 『倒したい奴がいる』 って言っただろ? そのために今は頂上目指している。
ヒマワリみたいに派手じゃないけど、 こうやって一歩ずつ上を目指すのもありかなって……最近わかった」
しばらくの間、 二人は立ち葵を眺めていたが、 ケガの手当てを優先して裏手に回った。
疾斗の家は表玄関とは別に、 裏に勝手口というのがあった。
最近では、 あまり見かけなくなったが、 昔ながらの家屋や人の出入りが多い屋敷などは、
客用の玄関とは別に裏にも出入り口を設けている。
来客の邪魔にならないよう、 家族や業者はその勝手口を使って出入りする。
当然のことながら、 そこは疾斗の家であると同時に、 トオルのテニス部の先輩である唐沢海斗の家でもあった。
二人が入るとすぐに、 中にいる唐沢と出くわした。
学校以外で、 しかも寺という神聖な場所で、 この男に会うのは不思議な気がした。
プレイヤーとして唐沢を尊敬しているのは事実だが、 私生活となるとあまり関わりたくないというのが本音だった。
校内試合を 「レース」 と呼び、 学園祭で賭け将棋を催し物とする副部長。
このギャンブル色の強い男が、 聖域にいること自体が不自然というか、 ふざけているというか。
しかも隣には髪をオレンジに染めたヤンキーの弟がいる。
このミスマッチな家庭環境に慣れないまま、 トオルは唐沢に状況を説明しようとした。
「先輩、 疾斗が芙蓉の連中に絡まれてケガ……」
最後まで言い終わらないうちに、 唐沢がトオルに詰め寄った。
「真嶋、 まさか疾斗に手を貸して、 芙蓉とやり合ったんじゃないだろうな?」
いつになく厳しい口調の唐沢は、 ケガをした弟と無傷のトオルを交互に睨みつけている。
「はい。 それより疾斗のケガの手当てを……」
「オマエ、 自分のやったことが、どういう事かわかっているのか?」
またしても言い終わらないうちに、 唐沢がたたみ掛けてきた。
その顔は、 都大会を前に乱闘騒ぎを起こした後輩を明らかに責めている。
「先輩、 すいません。 処分なら後で受けますから、 疾斗の手当てを先にしてやってください」
真顔の唐沢はさすがに迫力があったが、 トオルも自分の主張を曲げる気はなかった。
事実確認や処分よりも、 ケガ人を優先するのは当然のことだと思った。
だが、 そんなトオルの主張を無視して、 唐沢は無言のまま勝手口から出かけようとしている。
「自分の弟がこんだけボコボコにされたのに、 何とも思わないのかよ!?」
先輩に向かって思わず声を荒げたのは、 前に北斗の横暴さも見てきたからかもしれない。
あるいは父 ・ 龍之介の姿と重なったからなのか。
「アンタら兄貴がそんなだから、 疾斗の居場所がなくなるんじゃないか!」
トオルの怒鳴り声に、 唐沢が一瞬だけ振り向いた。
「いつもの事だ、 コイツの……」
説明する間も惜しいのか、 彼は最後まで言わずに扉を閉めて出て行った。
上品な表玄関と違い、 勝手口は古びた木製の扉があるだけだった。
その二種類の出入り口が、 今の唐沢家の現実を表しているように見えた。
庭つきの重厚な表玄関と、 薄っぺらで古いだけの勝手口と。
裏口の壊れそうな扉の前で、 トオルは激しい怒りを感じたが、
自分が優先すべきことを思い出し、 勝手口に背を向けた。
二階の部屋に疾斗を連れて行くと、 ケガの具合を確認しながら手際よく処置していった。
使う頻度が多いせいか、 唐沢家の救急箱は中身が充実していた。
充実しているという表現がピッタリくるほど、 応急処置に必要な薬や包帯などが全て揃えられている。
慣れた手つきで処置するトオルに、 疾斗がぽつり、 ぽつりと話し始めた。
「たぶん海斗は、 芙蓉の黒鉄に話をつけに行ったんだと思う……」
「クロガネ?」
「不良グループのリーダーを全部取りまとめている奴だ」
「ヤバイんじゃねえのか、 そいつ?」
「うん、 ヤバイ。 だけど海斗なら対等に渡り合えるから」
「それって、 どういう……?」
「海斗はむかし、 俺以上のワルだったから。
きっと俺らとテニス部の為に、 これ以上騒ぎにならないよう交渉しに行ったんだと思う」
トオルの手が止った。
やってしまった。 またしても唐沢の真意も確かめずに、 失礼な発言をぶけてしまった。
前回も土下座までして謝ったのに。 練習試合のときの後悔が胸に甦る。
「トオルが気にする事はないって。
弟の俺ですら、 海斗が何を考えているのか読めない時もあるし」
落ち込むトオルをなだめるように、 疾斗は自分たち兄弟の関係を話し始めた。
「海斗は、 あのワガママな兄貴とヤンチャな俺に挟まれて育ったせいか、
昔から自分の感情とか考えを、あまり表に出さない。
三人でやりたい放題やったら、 家の中メチャメチャになるだろ?」
疾斗に言われて少し気が楽になったが、 それでもやはり後で土下座するしかないだろう。
「ただトオルには覚えておいて欲しい。
他の奴にはわかりにくいかもしれないけど、 海斗は懐が深いっていうのかな……
本当はすっげえ優しいから」
慎重に言葉を選ぶ疾斗から、 少しずつ唐沢の素顔が明かされていく。
「うちの兄貴はあんなだから、 俺とぶつかることが多いんだ。
そのたびに海斗は俺をかばってくれて。
自分だって振り回されて大変なのに、 真っ先に俺のこと考えてくれる。
他校と揉めた時だって、 本当にヤバイ時は必ず力を貸してくれる」
「そうだったのか」
「その薬箱も……」
「薬箱?」
「中身をいつも補充してくれているのは海斗なんだ。
ほとんど俺が使っているのに」
「なのに、 なんで 『兄貴達みたいになりたくない』 って言ったんだ?」
「兄貴たちみたいになりたくねえから……」
ずっとトオルはその意味がわからなかった。 今でも――
兄 ・ 北斗はともかく、 そこまで慕う唐沢にも、 なぜ嫌悪感を示すのか。
こじれた兄弟の歴史を話すのは、 それなりの準備がいるのだろう。
しばらく部屋の天井を見つめてから、 疾斗は少しずつトオルにもわかり易いように話していった。
「海斗は、 兄貴にコンプレックスがあるんだよ。
俺は三才離れているから直接は関係ないけど、 海斗は二つしか違わないから、 いつも兄貴とダブる年がある。
海斗が一年の時に兄貴が三年でテニス部にいる。
それも絶大な権力をもったカリスマ部長の兄貴が……」
トオルは、 前に唐沢がコンプレックスの話をした時の事を思い出していた。
確か 「コンプレックスは原動力にもなるが、 落とし穴にもなるやっかいな代物」 と話していた。
その時は千葉の話だと思って聞いていたが、 あれは自分の経験からくる言葉だったのかもしれない。
「兄貴は確かに強い。 それにテニス部の伝統を変えた部長だって、 伝説まである男だ。
そう簡単に超えられる相手じゃない」
「そんなに強いのか?」
「自分とこの部長を考えてみろよ」
わかりやすい例えだ。 ハルキよりも、 唐沢よりも強いとされる部長の成田。
その成田よりも二年も先輩の北斗の強さは半端ではないはず。
トオルが納得したのを見届けてから、 疾斗がさらに続けた。
「見せないようにしているけど、 海斗はいつも兄貴を追いかけている。
縛られていると言ってもいい。 偉大な兄貴に」
あの頭の切れる唐沢に 「落とし穴」 を味あわせる北斗。
横柄な印象しか残っていないが、 コートに立った彼はよほど実力のあるプレイヤーなのだろう。
「海斗のテニスって職人って感じしないか?」
「職人?」
唐突な質問にトオルは首をかしげた。
「試合に勝つよりも返せない一球にこだわる。
例えあと1ポイントで自分が勝つ状況でも、 一球でも返せないボールがある限り、 海斗は試合を長引かせる」
「なんでそんなこと?」
「兄貴を倒すためさ。 海斗にとっては、 全ての試合が兄貴を倒すための過程に過ぎない。
だから試合に勝つよりも返せない一球にこだわる。 より自分の技術を高める為に。
しかも兄貴は兄貴で 『海斗に俺は倒せねえ』 って、 呪文みたいに言い続けているし」
龍之介と接しているせいか、 北斗の行動が手に取るようにわかる。
「テメエが俺を越える器になったら、 そん時はいくらでも教えてやる」
前に龍之介から、 そう言われたことがある。
それは表現こそ違うが 「超えられるものなら超えてみろ」 という意味で、
簡単には超えさせないという自信に裏づけされた台詞でもある。
あの時初めてトオルは、 プレイヤーとして、 男として、 父親を超えたいと意識したのかもしれない。
超えたくても超えられない相手が傍にいる。
幸か不幸か、 トオルの父親はテニスが出来ない体だが、 もしこれがハルキの父親のように、
幼い頃から自分の前にプレイヤーとして立ちはだかっていたら。
唐沢の兄 ・ 北斗のように、 同じテニス部の部長として君臨していたら。
恐らくトオルもコンプレックスを常に感じたかもしれない。
しかも、 あの傲慢な性格だ。
いままで以上に、 トオルは龍之介と衝突していただろう。
今になって、 「コンプレックスはやっかいな代物」 と言った唐沢の気持ちがわかってきた。
静かな声で疾斗が続ける。
「そんな二人見ているとさ、 一生懸命やっても苦しむだけだってのがよくわかる。
テニスが楽しいなんて思えなくて。 それに俺は光陵落ちた 『落ちこぼれ』 だし」
優秀な兄達の確執に挟まれ、 弟なりに息苦しさを感じていたのだろう。
「他になんか楽しい事ねえかなって、 いつも探すんだけど……
結局、 気づいてみたらケンカ三昧の毎日でさ」
救急箱に薬をしまいながら、 トオルは今の言葉は本音だろうと感じた。
「じゃあトラブルがあったわけじゃなかったのか」
一瞬、 疾斗の顔色が変わった。
「どうして、 それを……?」
「えっと……」
伊達から聞いたとは言いにくかった。
どんな家族でも噂話が広まるのは、 身内として気分のいいものではない。
だが口ごもるトオルの様子から、 すでに疾斗はそれが噂として流れていることを察した。
「まあ仕方ないか。 あの二人は良くも悪くも有名だから」
「余計なこと喋っちまった。 ごめんな……」
「オマエが謝ることないって。 それにトラブルがあったのは事実だから」
「そうなのか?」
「うん。 だけど俺はそのとき小学生だったから、 正直よく覚えていないんだ。
なんか揉めていた雰囲気はあったと思うけど、 それ以上はわからない」
トラブルがあったのは事実 ―― そう聞かされたとたんに、 地区大会で見せた唐沢の遠い目が浮かんだ。
あのとき、 軍師と呼ばれる男には不釣合いな空白の間があった。
過去をさ迷うあの目と、 北斗とのトラブルは何か関係があるのだろうか。
口数の少なくなったトオルを気遣って、 疾斗が話題を変えてきた。
「トオル、 さすが手慣れてんな〜!
この包帯の巻き方といい、 やっぱオマエどっかのリーダーだろ?」
「バ〜カ! こんな真面目に部活に励むリーダーいるかよ。
それに疾斗だって手当ての仕方ぐらい覚えておかないと、 テニス出来なくなったら困るだろ?」
「べ、べつに俺は困んねえよ……」
ふいっと反らせた横顔を覗き込んで、 トオルはなおも追撃した。
「テニス好きなんだろ? でなきゃ、 あんなに上手くない」
「す、好きじゃね〜よ!」
「オマエ相当意地っ張りだな」
「トオルに言われたくねえよッ!」
そこへ唐沢が部屋に入ってきた。
「黒鉄と話つけてきた。 今回の事は水に流すし表沙汰にしないと約束させた。
但しテニス部員を一人よこせと言ってきた……」
そこまで言って、 唐沢はトオルをちらっと見た。
こちらの条件を呑む代わりに、 黒鉄は芙蓉のレベルを上げるため、 光陵からテニス部員を
転入させろと要求してきたのだ。
ここは腹をくくるしかない。 元はといえば、 自分の軽率な行動から始まった事だ。
テニス部が大会に出られるだけでもありがたい。
「わかりました。 オレでよければ芙蓉に……」
それを聞いて、 疾斗が慌てて止めに入った。
「待ってくれ。 俺が行く!
今度のことは全部、 俺のせいだ」
「疾斗、 心配すんな。 どこに行ってもテニスは出来るって」
「違う! オマエは光陵にいなくちゃ意味がない。 倒したい奴いるんだろ?
それに俺もオマエとちゃんと戦いたくなった。
俺が芙蓉のテニス部に行ってオマエを倒す。 な、いいだろ?」
「二人とも俺の話を最後まで聞け」
二人の本心が出尽くしてから、 唐沢がふたたび口を開いた。
「黒鉄が部員をよこせと言ってきたんで、 ぶん殴って話はついた」
「えっ……?」
開いた口がふさがらないというのは呆れた時に使うのだろうが、
今の疾斗とトオルには驚いた時に使う表現のように思えた。
「えっ」 と驚いたまま、 口が元に戻らない。
やはり唐沢が疾斗以上のワルだというのは本当らしい。
でなければ、 不良グループのリーダーを、 更に束ねる親玉をぶん殴って話をつけたりはしない。
いや、 出来ないだろう。
しかも乱闘騒ぎを鎮めるために頼みに行った立場で。
放心状態のトオルに向かって、 唐沢は真面目な口調で話しかけた。
「真嶋、 疾斗を助けてくれたことは兄として礼を言う。
だが先輩として、 これだけは言っておく。
オマエが光陵のテニス部員でいたいのなら、 今後いっさい乱闘はするな」
「はい、 本当にすみませんでした。
都大会前なのに、 もう少しでテニス部のみんなにも迷惑かけるところでした」
「タ〜コ! なにを大きく勘違いしてんだ?
オマエにケガでもされたら俺が困るんだよ。 まだ借金2万9千5百円残ってるだろ?」
「……って、 もしかして借金の返済の為ッスか?」
「当たり前だ。 他にどんな理由がある?
次のレースで絶対勝てよ。 でなきゃテニス部クビだからな!」
「マ、 マジっすか!?」
唐沢の裏の顔を知るトオルには、 「レース」 イコール校内試合を指すとわかっている。
そして、 今度の試合が借金返済の最後のチャンスらしい。
「勝てなきゃクビって、 そんなぁ……」
「それから疾斗。 コイツを倒したいなら、 芙蓉より松林テニス部の方が見込みある。
あそこはコーチが変わって、 これから伸びていくはずだから」
弟にそう告げると、 唐沢は涙目の後輩を無視して、 さっさと部屋から出て行った。
「なあ、 疾斗……唐沢先輩が優しいのって、 オマエにだけじゃねえか?」
半分は抗議の意味も込めてトオルは問いただした。
「だから俺にも読めないとこあるって、 さっき言っただろうが……」
堂々と後輩をカモる兄を目の当たりにして、 疾斗も遠慮がちに反論している。
やはり唐沢という男を安易に信じたり、 ましてや懐が深いなどと簡単に敬ってはならない。
これもついこの間、 学んだはずなのに。
「はあ〜」
思わずトオルは最大級の溜め息をついた。
その大部分が尊敬しかけた唐沢に対する落胆だったが、 一件落着の安堵も少しは混じっていた。
いくら 「どこに行ってもテニスは出来る」 と言っても、 光陵テニス部には、他とは比べ物にならないほどの
魅力がある。
溜め息とともに見回した疾斗の部屋は、 マニュアル本やルールブックなど、
テニスに関する書籍が所狭しと並んでいた。
机の上には唐沢と並んで写る幼い疾斗の写真がある。
ふたりともテニスウェアを着て賞状を抱えているところを見ると、 何かの大会に出た時だろうか。
やはり疾斗はテニスが好きなのだ。
伊達の言葉が蘇る。
「アイツの最初の絆になってやれ」
トオルは立ち上がると、 疾斗に向かって右手を差し出した。
「疾斗。 オマエの言うように、 逃げるよりは負けたほうがマシだと思うけど……」
新たな絆がまた一つ、 親友に向かって紡ぎ出される。
「負けるよりは勝った方がもっとマシだよな?」
差し出された右手に、 疾斗が応える。
「当ったり前だ。
来年の地区大会で絶対倒してやるから、 今度こそ 『疾斗様』 って呼べよな」
「上等だ。 けど俺が勝ったら、 一生 『疾斗』 のままだ。 ダチは呼び捨てが基本だから」
新たな約束。 新たな絆。
倒したい奴がもう一人増えた。
固く握られた二人の手から、 親友という名の絆が新たに結ばれようとしていた。