第9話 村主という男

ストリートコート


部活からの帰り道、 トオルはストリートコートへ誘われていた。
「まいにち基礎トレと球拾いばかりじゃ、 つまんなくない?
テニス部ってのはさ、 ボール打ってこそだろ?」
連日の球拾いと雑用に、 高木はうんざりした様子だ。
テニス部に入部してからずっと、 一年生がボールを
打たせてもらった事はない。
自分は入部してまだ三日目だが、 高木や久保田は
二週間近く経っている。 そろそろ不満が出てくる頃だ。
「行ってみようよ、 なっ?」
「でも、 ぼく達みたいな初心者が行って、 打たせて
もらえるのですか?」
小心者の久保田が心配している。
「ああいうところは早い者勝ちだって。 今からダッシュで行けば、コートの一面くらいは空いてるだろ」
トオルは、 クラブハウスでハルキが練習している姿を思い出していた。 奴との対決は来週末だ。
そろそろボールぐらい打っておかないと、 確かにマズい。
「よし、 ダッシュだ!」
そう言って、 トオルは真っ先に走り出した。
待っていましたと、 高木が続き、 最後に久保田が仕方なく後を追った。

高木が案内した場所は、 学校から走って十分程度の距離にあり、
テニスコートが4面ある公営の施設の中にあった。
基本的には早い者順に、 コートを使用する権利があるらしい。
が、この時期考えることは皆おなじで、 すでにコート待ちの行列が出来ていた。
恐らく各校から集まった、 球拾いに飽き飽きしている1年部員だろう。
「この行列を待っていたら、 夜中になりますよ」
久保田は、 すでに帰りたそうである。
「だいじょうぶ。 ハーフマッチ だから、 すぐに順番がまわってくる」
「ハーフマッチ?」
トオルが高木に聞き返す。
ここのルールは、 コートを使いたい者同士が、 3ゲームの試合をして、 勝ったほうが使用権を獲得する。
通常、 学生達の試合は1セットマッチ、 6ゲームだから、 その半分で、 ハーフマッチ と呼ばれていた。
2ゲーム以上の差をつけて、 3ゲーム先取した方が勝ちだ。
勝ち残った者は引き続きコートで打てるが、 負けてしまえば、 次の日までチャレンジする事は出来ない。
まさに、 早い者勝ちであり、 強い者勝ち でもあった。
「あれ、 あっちの端のコート、 誰も並んでねエじゃん」
各コートに行列が出来ている中、 1面だけ挑戦者がひとりも並んでいないコートがあった。
トオルはその端のコートまで来ると、 中でプレーしている人間に声をかけようと立ち止まった。
そこでは、十人ほどの他校の部員が、 順番にコートで打ち合っている。
まるで部活で使用しているかのようだ。
その中で、 ひときわ目立つ大柄な男のプレーが、 トオルの目を釘付けにした。
その男のフォームは、 ハルキや滝澤と違って、 大きな体格を活かした豪快なフォームだった。
そして彼は、 懐かしいあの、 「熊のおっさん」 によく似ていた。

大柄の男がトオルに声をかけてきた。
「チャレンジャーか?」
「チャレンジャー?」
「試合をするのかと聞いている」
「そのつもりだったけど、 おっさんのプレー、 もう少し見てていいか?」
高木と久保田が慌てて、 トオルの口をふさいだ。
トオルが 「おっさん」 呼ばわりしている大柄の男は、 海南中学の部長 ・ 村主だった。
他の部員も同じユニフォームを着ているので、 どうやらここは海南中学が占領しているらしい。
村主は、 トオルの 「おっさん」 発言を気にとめる様子もなく、 練習に戻った。
幸運にも彼は、 コーチの日高より人間が出来ているようである。
口をふさがれながらも、 トオルはまだ村主から、 目を離そうとしなかった。
「おっさん、 上手いな」
懲りずにトオルは 「おっさん」 と呼んでいる。
自分より年上で名前を知らない人間は、 例え中学三年でも、 全員 「おっさん」 で済ましていた。
「そう言うオマエはどうなんだ? 上手いのか?」
半ばからかい気味に、 村主は聞いた。
「いや、 オレは下手だ。 これからうまくなるところだ。 だから、 ここへ来た」
ためらいもなく自らを 「下手だ」 と言い切る少年に、 村主は興味がわいてきた。

外見から判断して、 どこかの学校の一年生らしい。
体格的にも発展途上というところか、 村主と比べて数倍ちいさく見える。
しかし、 体操服からスラリと伸びた手足は、 それぞれ絞り込まれた筋肉が覆い、 均整がとれていた。
筋肉質でも骨太でもないが、 正しく筋肉がついているというか、 つまりは、 無駄がない。
トレーナーの元で正しいトレーニングを積んでいない限り、
普通の中学生が、 このようにバランスよく鍛え上げる事は、 まず不可能だ。
手にしている古びたラケットも、 かなり使い込まれているように見える。
しかも、 場慣れしているのか、 他校の部長を相手に、 物怖じすることなく接している。
「コイツ、 かなりの実力者だ」
村主は、 そう結論づけた。

「おもしろいヤツだ。 試合やってみるか?」
「いいのか? 練習しているんだろう?」
「ここは、ストリートコートだ。 挑戦者が来ないから、 練習していただけで、 来たからには受けて立つ。
坊主、 誰と試合したい?」
「おっさんと試合がしたい。 けど、 オレは坊主じゃない。 真嶋トオルだ」
「わかった 。 それでは、 俺も言っておく。  俺の名前は村主(すぐり)だ」
コートの内と外で、 互いに視線を外すことなく向き合っている。
「怖いもの知らず」 の1年生の挑戦に、 周りにいた人間は、 驚いた様子で成り行きを見守っている。

久保田はひとつ、 不安に思っていることがあった。
トオルは本当に試合が出来る状態なのかと。
先輩の唐沢の指示で、 トオルにテニスのルールブックを渡したのは、 今朝のことだ。
授業中はもちろん、 休み時間も読んでいた様子はみじんもない。
「真嶋君。 試合のルールは、 わかっていますか?」
念のため、 トオルに確認してみる。
「任せとけって! おまえの本に、 判りやすく書いてあったぜ。
テニスって、 要は卓球と変わらないんだろ」
久保田の記憶では、 そのような説明が記されている本を、 彼に渡した覚えはない。
「卓球」 という言葉がどこに出てきたか、 フルスピードで頭を回転させみる。
「卓球、 卓球…… ?」
そんな文章はどこにもなかったはず。
久保田はますます不安が増してきた。
もしもトオルがルールを知らない状態で、 村主に試合を挑んでいるとしたら、
これほど相手に失礼なことはない。
相手は仮にも、 海南中学テニス部の部長で、 しかも今は練習中らしい。
トオル本人にそのつもりがなくても、 これでは 「冷やかし」 と同じ行為になる。
そんな久保田の心配をよそに、 村主とトオルは試合を始めようとしていた。

「ここでは、 チャレンジャーにサーブ権がある。 真嶋、 おまえからだ」
ボールを受け取りながら、 トオルはワクワクしていた。
テニスの試合をするのは初めてだが、 この気持ちの高揚感は、 どんな勝負の前でも同じ感覚だ。
将棋、バスケ、ケンカ …… 勝負の形式が違うだけで、
手の内の知らない相手と力を競い合いうという点では、 どれも同じ意味を持つ。
そして、 その相手に勝った瞬間を想像すると、 それだけで気持ちがワクワクするのだった。
「相手が返せないボールを打てば勝ち」 日高は、 そう言っていた。
だったら …… トオルは高くトスをあげて、 力いっぱいラケットを振り下ろした。
さすがに、 山で果物を採っていただけのことはある。
勢いのついたボールは思い通りに、 相手の右コーナーへと真っ直ぐ飛んでいった。

「フォルト!」
村主の口から、 フォルトの判定が下される。
ここではセルフジャッジ、 つまりプレーヤーが自ら審判をする決まりだ。
「フォルト?」
「ああ、 なかなかの剛速球だったが、 完全にアウトだ」
「んなワケないだろう。 ちゃんと枠の中に入っていたじゃんか」
トオルは自信を持って、 村主に抗議している。
「どっから見ても、 アウトじゃねえか !」
脇で見ていた海南の部員達も、 部長の判定を支持する。
いまのサーブは 枠の中 と言っても、 コートの 「外枠」 の中だった。
本来サーブを入れるべきサービスエリアからは、 大きく外れている。
村主のアウトの判定は正しい。
当然、 高木も同じ意見だった。
だが、 久保田だけは違っていた。

もしかして ―― 嫌な予感がした。
このとき久保田は 「卓球」 と言う文字があった個所を、 ようやく思い出していた。
マニュアル本の最初のページに、 「はじめてテニスをするあなたへ」 という序章があり、
「テニスは 卓球 と同じくリズムとタイミングのスポーツです」 と書いてあった。
それを読んだトオルは、 テニスも 「卓球と同じルール」 だと思い込み、
残りのページ、 いや、肝心の本文を読んでいないのだ。
それが証拠に、 その本の第一章には 「サービスの基本」 が明記されているのに、 彼は全くわかっていない。
テニスコートは卓球台と違って、 外枠と内枠があり、 内枠をサービスエリアという。
テニスを少しでも知っている者なら常識だが、
サーブはそのサービスエリアに入れなければ、アウト=フォルトになる。
けれど卓球と同じルールだと思い込んでいるトオルは、
テニスコートの外枠内にボールを入れればオーケーだと思っているはずだ。
彼が 「フォルト」 と聞き返したのも、 ジャッジに不服があったのではなく、
「フォルト」 の用語自体を知らなかったから である。
これでは両者の意見が食い違うのも無理はない。

小心者の久保田は迷っていた。
本来ならば、 試合中の選手に話しかける事は、 許されない。
しかし、 今朝の唐沢の言葉が、 小心者の背中を押していた。
「久保田、 おまえの知識で真嶋を支えてやってくれ」
久保田は大きく息を吸い込むと、 意を決して、 村主に断りを入れた。
「試合中に、 たいへん申し訳ないのですが、 少しだけお時間をいただけないでしょうか?」

コートの脇までトオルを連れ出すと、 さっそく状況を整理し始めた。
「真嶋君。 もしかして、 どこにサーブを入れるか、 わかってないでしょう」
「あの枠の中に入れりゃいいんだろう? 違うのか?」
「違います。 枠は枠でも、 内側の枠。
サービスエリアと言いますが、 サーブだけは、 その中に入れなくてはなりません」
久保田は、 できるだけ初心者にもわかり易い言葉で説明している。
「へえ、 そうか。 アレ、 飾りじゃねえんだな」
案の定、 彼はサービスラインを、 飾り程度にしか思っていなかった。
「よっしゃ、 わかった。 内側の枠な! サンキュー、 久保田」
「あ、 ちょっと、 まだ説明が …… 」
慌てて止めようとしたが、 トオルはすでにコートに戻ってしまった。
いくらサーブが入っても、 それだけで試合を進められるほどテニスは甘くない。
これを機会に、 試合を中断させるのが賢明な選択だ。
だが当の本人は、 やる気満々で試合を再開していた。

トオルはコントロールには自信があった。
なにしろ走ってくるイノシシの眉間に、 ピンポイントでボールを当てる事が出来るのだから、
サービスエリア内に打ち込むことなど楽勝だ。
高いトスがあがる。 今度は間違いなく 「内枠」 に入った。
「ダブルフォルト! 残念だったな」
村主が笑っている。
「ダブルフォルト? なんだよそれ。 ちゃんと入ったじゃねえかよ」
「フットフォルトだ。 ベースライン踏んでいたぞ」
こんども村主の判定は正しかった。
サーブを打つ時に外枠のライン、 つまり、 ベースラインを踏んだり、
ライン内に入る行為はフォルトと同じ扱いになる。
「ベースライン …… ? フットフォルト …… ? ってなんだ?
頼むから、 日本語使って喋ってくれよ」
トオルには、 まだ状況を把握できていなかった。
久保田の指示通り 内枠 に入れたのに、 またしても自分のサーブが無効らしい。
マニュアル本の 最初のページしか読んでいないのだから 無理もないが、
テニスの試合には、 たくさんのルールがつきまとう。
覚えてしまえば、 さほど難しいルールではないが、 初心者にとっては煩わしく感じる。
同時に、 村主も違う意味で、 状況を把握できずにいた。
使い込んだラケットを持ち、 鍛えられたアスリートの身体を持つこの少年は、
さっきからおかしな事ばかり言っている。
これでは、 まるで初心者だ。

「おまえ、 まさかとは思うが …… もしかして、テニス初心者なのか?」
村主は慎重に尋ねた。
「ああ、 言ったじゃネエか、 これから上手くなるって!」
「彼は、 テニスを始めて今日で三日目なんです」
高木がフォローした。
冷静に考えて、 かりにも村主は海南の部長である。
どれ程の実力かは知らないが、 他のストリートの連中が、 試合を避けるぐらいだから、
かなり強いのだろう。
そこに1年の初心者が、 ルールも知らずに、 堂々と試合を申し込んできたのだ。
これほど相手に失礼なことはない。
村主が許してくれても、 後ろに控えている 海南中の部員たちが黙ってはいないだろう。
ここは、 素人の愚かさを盾に同情をひき、 隙を見て逃げた方がいい。

「ちなみに、 四日前まで、 テニスってスポーツがあることも知らなくて …… 」
久保田も高木をバックアップした。
「ちげエよ、 外人がやると思ってただけだ。 なんつうか、 あれだ、異文化ってヤツか?」
二人の友達の真意も知らず、 トオルは無邪気に自分の育った環境を解説している。
村主は唖然として、 三人の会話を聞いていた。
とてもウソをついているようには見えなかったが、 にわかには信じられなかった。
性質の悪い冗談と思われても仕方がないような話だ。
これが試合前なら、 信じたかもしれない。
だが、 あのサービスは、 トオルが二度目に打ったサーブは、
公式の試合でも充分通じるほどのスピードがあった。
しかも少年の視線から、 そのサーブがまぐれではなく、 最初から狙って打ったと確信していた。

「おまえら、 うちの部長、 ナメてんじゃねえぞ!
あんだけのサーブ打っておいて、 テニス初心者なわけねエだろう!」
村主の後輩にあたる伊達が、 シビレを切らして割り込んできた。
「わるいが俺は、 部長と違って気が短いんだ。
これいじょう村主さんを侮辱するんなら、 相手してやってもいいんだぜ」
伊達はそう言いながら、 腕まくりをして拳を握っている。
彼の様子からして、 今にも乱闘になりそうな勢いだ。
「侮辱したつもりは、 ねえけど …… 」
トオルが、 ゆっくりとラケットを置いて応えている。
「売られたケンカは買わねえとな」
こっちも完全に、 やる気モードに入っている。

高木と久保田が慌てて間に入った。
「すみません! 俺達、 本当に初心者なんです。 ボールも、 まだ打たせてもらってなくて …… 」
あくまでも高木は、 同情作戦を継続している。
久保田も、 すかさず応援する。
「そうなんです。 球拾いばかりで、 つまんなくて …… それで …… 」
一瞬、 村主の顔色が変わった。
「いま、 何て言った?」
「球拾いばかりで …… って」
小心者の久保田が、 消え入りそうな声で答えた。
「その次だ」
「球拾いばかりで、つまんなくて …… 」
次の瞬間、 村主の怒号が飛んだ。
「ばかやろう! 球拾いをバカにするんじゃない!」
一瞬にして、 高木、 久保田はもちろん、 トオルと伊達も固まった。
大柄な村主の怒鳴り声は、 まさに空から落ちてきた雷のようだった。
彼が怒った姿も 「熊のおっさん」 そっくりだ。

トオルは反射的に、 逃げようと思った。
岐阜にいた頃の条件反射が、 まだ体内に残っているらしい。
が、 どうしてもハッキリさせておきたい疑問があった。
「村主のおっさん、 聞いていいか?」
「なんだ?」
「なんで、 球拾いをつまんないって言ったら、 いけないんだ?  おもしろいのか?」
「坊主。 おまえは、 人にモノを尋ねる時の姿勢から、 直さなきゃならんようだな」
「どういう意味だ?」
「まず、 第一に目上の人に対する、 ものの言い方がなっていない。
第二に、 おまえはテニスのルールも知らずに 試合をしようとして、 俺たちの大事な練習時間を無駄にした。
第三に、 俺らはオマエを教える為に、 ここにいるわけではない。
にもかかわらず、 教えてもらう為には、 オマエはどうすべきか、 よく考えろ」
トオルは、 村主の言葉をじっと聞いていた。  それから、ラケットを掴むと
「オレ、 出直してきます!」
そう言って、 走り去っていった。
高木と久保田も、 慌てて後について出た。 この状況から脱出するには、 今をおいて他にはない。
「真嶋って思ったより、 逃げ足速いんだな」
他校の部長 を怒らせたのはマズかったが、 なんとかコートから逃げ出せて、 高木は安堵していた。
そして 真っ先に逃げ出したはずの トオルを探したが、 すでに彼の姿はどこにもなかった。



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