第 30 話 最後の命令

教会イメージ



気がつけば、 そこはテニスコートだった。
だが、 いつものコンクリートの地面ではなく、 十二面ものコートがある
贅沢な敷地だ。
「オレ、 もしかして戻って来たのか?」
どこか懐かしい感じのする風景は、 紛れもなく光陵学園のテニスコートだった。
隣ではハルキや先輩達が練習している。
初夏の日差しが照りつける明るく穏やかな日常。
身の危険を感じることなくプレーできる環境。
ずっと帰りたいと望んでいた場所なのに、手放しで喜べないのは何故だろうか。

「本当に戻って来られたのか?」
状況を把握しないまま、 トオルはフェンスの外に目をやった。
「トオル……」
不安げな眼差しを向けているのは、 写真の中でしか会うことの叶わなかった彼女。
伝えられなかった想いを持て余しながら、 それでも忘れられずにいた。
「奈緒……オレ、 戻ってきたみたいだ」
「トオル、 これ見て」
奈緒が携帯電話の画像を見せて、 にっこりと微笑んだ。
「立ち葵って言うんだよ」
「ああ、 知っている」
「この花は下から順番に咲いていって、 一番上の花が咲く頃に夏が来るの」
「それも、 知っている。 だって、 奈緒が教えてくれた……って、 夏?
もうすぐ冬だろ?」
いくら日本とアメリカとの間に距離があったとしても、 季節までは違わない。
トオルは、 何故もうすぐ冬だと思うのか、 根拠を探ろうとした。
確かモニカが受けるコーチの試験が十一月で、 その合格の知らせを聞いて――

瞬く間に懐かしい風景は消え去り、 十二面のコートがコンクリートに変わった。
危険と背中合わせの緊張感に包まれた、通い慣れたストリート ・ コートだ。
「これは、 夢……?」
この不可解な展開は夢に違いない。
頭の片隅で状況を整理しながらも、 まだ夢の中をさ迷う自分がいる。
目覚めることよりも、 リアルに映る夢の世界で、 何か大事なものを探そうとした。
上の方から話し声が聞こえる。
丸太の上だと思うが、 誰が話しているかまでは分からない。
「いいか、 よく聞くんだ。 人はそれぞれ 『あるべき場所』 を持っているものだ……」
聞き覚えのある声だが、 光陵の先輩達とは少し違う。
もっと大人の低い声で、 時々乱暴な口調になるが、 何故かその声で怒鳴られると安心する。
ここまで分かっているのに 、肝心の声の主を思い出せない。
一体誰が話しているのか。
どうしても確かめたくなって丸太を登ろうするが、 次々と足場が崩れ頂上まで辿り着けない。
「アンタ、 誰なんだ!?」
声のする方へ向かって叫ぶトオルに、 赤い皮のジャケットを着た男が振り返った。
「トオル、 オマエはどんなことがあっても 『あるべき場所』 へ帰れ」

「ジャン!」
一瞬のうちに、 夢から目が覚めた。
心配そうに覗き込むビーとレイ。 見覚えのあるソファ。
トオルはモニカの部屋のソファに横たわっていた。
今度こそ現実に帰って来たようだ。
後頭部に感じる痛みが、 何よりの証拠である。
部屋の窓から差し込む光の加減から、 そろそろ陽が落ちる時刻だと分かった。
ふらつく上体を無理に起こし、 眠っている間にどこまで時間が流れたのか、 記憶と重ね合わせてみる。
今朝、 モニカの卒業式の準備をする為にホテルへ行き、 そこでジャンが襲われる話を聞いて、
慌ててコートへ戻った事までは覚えている。
その後、 敵の罠だと気づき、 『ラビッシュ ・ キャッスル』 で乱闘になり、 それから――
「ジャン! ジャンは無事なのか!?」
突如として、 意識を失う前の赤い視界が甦った。
あれはジャケットの色なのか、 血の色なのか。
確認する前に気を失ってしまったが、 あの鈍い感触は間違いない。
刺されたのは自分ではなく、 ジャンの方だ。
「ジャンは、 どこにいる?」
詰め寄るトオルに対して、 レイも ビーも押し黙ったままだった。
二人の沈黙が、 更なる不安を掻き立てる。
「あの後、 何があった? なぜ黙っている?
ビー? レイ?」
「やめて、 トオル。 この二人は、 ジャンから命令を受けているの」
矢継ぎ早に責め立てようとするトオルを、 脇からモニカが制した。
「ジャンの命令?
それなら、 ジャンは生きているんだな? そうなんだろ?」
今度は間に入ったモニカにまで、 黙られてしまった。
リーダーの無事を確認したいだけなのに、 何故、 三人とも口を開こうとしないのか。
何故、 視線さえも合わせてくれないのか。
ただ一つハッキリしたのは、 この部屋の中に、 トオルの疑問に答えてくれる人間はいないという事実。
「分かった、 もういい。 自分で確かめに行く」

万一ジャンが倒れたままの状態なら、 一刻も早く病院へ連れて行かなければならない。
ここで彼らと押し問答しているより、 『ラビッシュ ・ キャッスル』 へ戻った方が、 早く解決するはずだ。
らちが明かない会話に見切りをつけ、 部屋を出て行こうとするトオルの前に、 レイが立ちふさがった。
「そこをどけ、 レイ!」
「それはできない。
『絶対に戻ってくるな』 と、 ジャンから言われている」
「なら、 ジャンは生きているんだな?」
再び繰り返される沈黙。 空を切る質問。
気心の知れた仲間達が、 この時ばかりは遠い存在に思えた。
「どうして黙っている? レイ? ビー? モニカ?
なんで、 何も話してくれないんだよ!?」
トオルの悲痛な叫びに、 ようやくビーが重い口を開いた。
「分からないんだ……トオル。 俺様たちにも、 あの後どうなったか」
「どういうことだ?」

ビーの話によると、 レイと二人で駆けつけた時は、 ジャンが トオルをかばって刺された直後だった。
刺した男はその場で逃げたが、 他の手下達がまだ残っていた。
倒れたジャンを見てパニックに陥りそうなトオルを、 一足先に現場に到着したゲイルが、
後ろから一撃を加え気絶させたという。
「ゲイルって、 あのゲイルか?」
トオルは二度に渡り、 その名を確認した。
前にトオルとナンバー2の座を賭けて敗れた後、 ずっと姿を消していたジャンの親友。
恐らく不穏な動きを聞きつけて、 この街に戻って来たのだろう。
「そのガキを連れて、 さっさと行け! あとは俺が始末する」
そう言って、 ゲイルは倒れているトオルをビー達に預け、 彼自身はジャンを連れて逃げる段取りを組んだ。
この時のゲイルの判断は正しかった。
自分のせいで血だらけになっているジャンを見れば、 トオルのパニックはますます酷くなったに違いない。
敵に囲まれ、 パニック状態の人間と負傷者を抱えながらの戦いは、 どう考えても不利である。
ビーとレイもその指示に納得して、 トオルを連れて場を去ろうとした時、
二人はまだ意識のあるジャンから命じられたのだ。
「オマエ達二人は、 トオルとモニカが 『あるべき場所』 へ帰るまで見届けろ。
絶対に戻って来るんじゃない。 これは、 俺からの最後の命令だ」と。

「最後の……命令……?」
その言葉に、 トオルは絶句した。
ジャンの生死は分からない。
だが、 あの赤い視界が全て血の量だとすれば、 生きている確率はきわめて低い。
三人に何を聞いても答えなかったのは、 絶望的な予想を口にしたくなかったからだ。
そして 「最後の命令」 と告げた本人の言葉。
その時すでに、 ジャンは覚悟していたのだろうか。
何を――
途方もない恐怖が覆いかぶさってきたが、 かろうじてトオルは正気を保った。
この目で確認するまでは信じない。 信じてはいけない。
何を――
決して認めたくない最悪の結末を封じ込めると、 トオルは再び部屋の出口へ向かった。
「どいてくれ、 レイ」
「出来ないと言っただろう。 これはリーダーの最後の命令なんだ」
「そのリーダーが、 心配じゃねエのかよ?
最後の命令なんて、 あっさり認めるのか?」
「それは……」
「殺されたくなければ……」
自分でも恐ろしいほど殺気に満ちた声がした。
仲間の胸倉を掴む手に、 迷いはない。
「殺されたくなければ、 そこをどけ。 オレは本気だ、 レイ」
悲しい光景だった。
仲間を危めてまで、 リーダーの安否を確認したいと願う自分は、 人の道から外れているのかもしれない。
でも、 本気だった。
一歩も譲らない覚悟を見せられ、 レイの顔が歪んだ。
乱闘騒ぎの際にも冷静な判断を下した彼が、 リーダーの命令と仲間の覚悟の狭間で、 答えを出せずにいる。
すると、 玄関から扉の開く音がした。
冷静沈着な親友より先に答えを出したのは、 ビーだった。
「トオルの言う通りだ。 こんな命令認めてたまるか。
本当に最後なのか、 俺様も確かめに行く。 レイはどうする?」
理屈抜きの感情が、 時として物事の本質に最も近いこともある。
歪んだ顔が呆れ顔に変わった。
「分かったよ。 ジャンを怒らせるのは、 常に三人じゃないとね」

最終的にモニカも加わり、 トオル達四人は手がかりを探すために 『ラビッシュ ・ キャッスル』 へ向かった。
負傷したジャンを抱えて行く先は病院だろうが、 街中にはいくつも存在する。
闇雲に探すより、 あそこのオーナーに聞いた方が、 早く居場所を見つけられると判断したからだ。
店の中へ入ると、 そこにはキャンディ ・ レイの残骸が至る所に散らばっていた。
大切な仲間からのプレゼントを武器にした罪が、 床一面にあった。
トオルは足元の一つを拾い上げると、 モニカに手渡した。
「モニカ、 ごめん。
本当はグラデュエーションのお祝いに、 ブレッドから渡してくれって頼まれていたんだ。
だけど……」
床に散乱していたのは、 キャンディだけではない。
壊れた椅子、 割れたグラスと、 茶色の破片はジャンが好んで飲んでいたバトワイザーのボトルだ。
あの乱闘がいかに激しく、 罪深いものだったか。
ぐっと唇を噛み締めるトオルの肩に、 モニカが手をかけた。
「ブレッドの気持ちはちゃんと受け取ったわ。
それより、 今はジャンを探すことを第一に考えましょう」
「うん、 でもゴメン……」
謝るしか方法はなかった。
じわじわと膨らむ自責の念。
それはモニカに対してだけでなく、 ブレッドにも、そしてジャンにも。
あの時、 油断しなければ。 自分さえしっかりしていれば、 こんな事にはならなかった。
自身が犯した過ちに、 押し潰されそうになった時だった。
オーナーを見つけたビーが、 皆を代表してジャンとゲイルの行方を聞きに行った。
「オーナー、 あの二人の居場所を知らないか?」
いつもは無口で捻くれ者のオーナーだが、 今日ばかりは素直に答えてくれた。
「教会にいるはずだ。 森の向こうの……」

オーナーから居場所を聞いて、 ビーとレイの顔色が変わった。
森の向こうの教会。 そこはジャックストリート ・ コートのメンバー達が眠る場所。
不幸にも何かの事情で亡くなった場合、 身寄りのないメンバーは引き取り手がいない。
そんな彼等のために、 ジャンが教会に寄付をして、 人知れず埋葬を頼んでいた場所である。
挑戦者から没収した高価な戦利品は、 大抵この教会へ納められていた。
またこの事実を知る者は、 四人の中でも幹部歴の長いビーとレイの二人だけである。
「トオル? 今日はここまでにして、 今度日を改めて……」
青ざめた顔で説得しかけたレイを、 ビーが抑えた。
「やめておけ、 レイ。
コイツの性格からして、 ここで大人しく帰るわけがない」
「だけど……」
「それ以上、 言うな。
最後の命令を無視してまで戻って来たのは、 この目で確かめる為だろ?」
事情を知らないトオルは、 何故レイが行くのを躊躇ったのか分からなかった。
この時までは。

オーナーが話していた教会は、 大通りから森へ抜ければ、 それ程遠くない。
森の途中から小道が二手に別れ、 左へ行けばストリートコート、 右の道を辿れば十分程で
石造りの小さな建物が見えてくる。
賑やかな通りから離れた森の奥で、 危険区域と隣り合わせの立地条件では訪れる者もなく、
ただ寂れるのを待つばかりの教会だが、 トオル達にはそれなりに思い出がある。
去年のクリスマスにビーがキャンドルを盗み出した事や、 それがジャンにバレて、
冬休みにボランティアとして働かされた事も。
そのせいか、 トオルは教会がどういう場所か見落としていた。
裏手の芝に整然と並べられた、 石で出来たプレートの意味も。
これらは日本で言うところの 「墓石」 である。

もうすぐジャンに会える。
トオルは漠然と、 そう思っていた。
一刻も早く彼に会って、 謝りたい。
逸る気持ちを抑え切れず、 教会の入り口へ向かって駆け出した。
ところが扉に手をかけたと同時に、 黒い人影が目の前に立ちはだかった。
「ゲイル……!」
黒いジャケットにサングラスをかけた男は、 ジャックストリート ・ コートにいた頃と変わらない、 あのゲイルだった。
「ジャンは?」
質問と同時に中へ入ろうとするトオルを、 ゲイルが引き止めた。
「オマエ達は、 ここから先へは入れない」
「どうして? オレ達は、 ジャンに会いに来たんだ。
中にいるんだろ? 入れて……」
「奴は死んだ」

ずっと頭の中で否定していた言葉が、 ゲイルの口から漏れた。
昔から彼は、 冗談を言ったり、 嘘をついたりするような人間ではない。
ましてやジャンと親友である彼が、 この状況でつく嘘ではない。
それでも、 トオルはすぐに認められなかった。
「嘘だ」
「本当だ」
「嘘だ! そんなの嘘に決まっている。
オレは信じないからな」
「信じる、 信じないは貴様の勝手だが、 奴が死んだのは事実だ」
皮肉なことに、 トオルはこの時初めて、 ゲイルの人間らしい一面を見せられた気がした。
かつて 「非情なナンバー2」 として、 ジャックストリート ・ コートの内でも外でも、 恐れられていた男。
トオル自身も、 その非情さに腹を立て、 何度も対立した。
喜怒哀楽で言えば、 彼が他人に見せる感情は 「怒」 の部分しかなかった。
しかし、 そのゲイルから今は 「哀」 が滲み出ている。
いつもなら容赦なく責めてくるはずの口調に覇気はなく、 人を突き刺すような視線も、 うつろなものだった。
表面上は刺々しい態度を取っているが、 少し前まで悲しみに沈んでいた顔だ。
これが、 全てを物語っている。 間違いなくジャンは死んだのだ。

「それが本当なら、 証拠を見せてくれ」
絶対に認めない。 認められるわけがない。
最強と呼ばれた男が、 こんなに簡単に死んでいいはずがない。
彼の死を全面否定する。 今のトオルに出来るのは、 これだけだった。
「そこをどいてくれ、 ゲイル!」
半ば強引に扉を開けようとしたトオルに、 ゲイルが親友から託された指示を淡々と伝えきた。
「式は密葬。 立会いは俺一人。
ジャックストリート ・ コートのメンバーは解散。
報復は絶対にしないこと。 全員 『あるべき場所』 へ帰れ……奴の遺言だ」
『あるべき場所』 へ帰れ ―― その言葉を発するのは、 それを願うのは、 この世でたった一人しかいない。
全面否定の土台が崩れ始めた。
密葬、 解散、 遺言。 どれもリーダーの死を示すに充分な証拠だった。
「なんで……なんで、 遺言なんて言うんだよ?
式って何だよ? 密葬って、 どういう事だよ?」
これらの揺るぎない証拠を並べられてもなお、 トオルは否定し続けた。
「嘘だって言ってくれよ。 これじゃあ、 まるで……まるで……」
認めたくない現実が会話を重ねるごとに確かなものとなり、 それに立ち向かう気力が削り取られていく。
「オマエ達と違って、 俺とジャンはメンバーがこうなるのを何度も見てきた。
仲間の死を遺体という形で見せられれば、 怒りが倍増して復讐したくなる」
覇気はないが、 しっかりとした口調でゲイルが続けた。
「オマエ達が馬鹿げた復讐をしないようにと、 ジャンは俺に密葬を頼んだ。
遺体を見ることを禁ずる。 葬儀の参列もだ。
奴の気持ちを……汲んでやって欲しい」
あのプライドの高い男が、 頭を下げた。
しかも彼より、 歳もランクも下だった連中に。

「なんで? なんで、 オレなんかの為に?
オレを庇わなければ、 ジャンは死なずに済んだのに……」
突きつけられた事実があまりに重過ぎて、 体の震えが止まらなかった。
ずっと否定し続けてきたのは、 この現実を抱え切れないと分かっていたから。
「なんでオレなんかの為に……オレが代わりに、 ジャンの代わりに……」
途中まで言いかけたところで、 ゲイルに襟首を掴まれた。
「貴様、 今何を言おうとした!?」
非情な男の 「哀」 は消え、 かつて何度も目にした 「怒」 が現れた。
「いいか、 クソガキ! 俺もそう思っている。
こんな奴の為に、 ジャンが……アイツが死ぬことはなかったってな!」
締め上げられた首に容赦なく力が加えられたが、 トオルは抵抗しなかった。
心のどこかで、 このまま締め付けてくれとさえ願っていた。
罪深い命を背負って生きるより、 その原因を作った自分には、 断ち切る方が似合っていると。
「ゲイル! いくらアンタでも、 そこまで言う権利はないだろ!」
ビーが慌てて止めようとしたが、 恨みのこもった力は緩められなかった。
これでいい。 このままでいい。
ところが次の瞬間、 ゲイルの口調が急変した。
「ジャンが死んだのは事実だ。
だが、 アイツが貴様を命がけで守ったのも事実だ。
万一その命を粗末にするような事があったら、 その時こそ、 オマエを殺しに来るから覚悟しろ。
覚悟して……生きろ……」
黒いサングラスの奥から、 つうと一筋の光が流れた。
トオルを締め付けていた手が緩められ、 心の片隅にあったささやか願望は、 形にならずに終わった。

「ジャンに……話したい事の半分も伝えていない。
いつも怒らせてばかりで……」
強く首を絞められていたせいか、 トオルは下に降ろされた後も、 まだ足に力が入らなかった。
足だけでなく、 どこもかしこも折れてしまったようで、 立つ事はおろか、 座る事さえままならない。
まるで心までも折れてしまったような。
「オレみたいなガキを拾ってくれたお礼も、 まだ言っていない。 本当はいつも思っていたのに、 言えなくて……
アングルボレーだって、 せっかく教えてくれたのに、 まだ完成していない……
ゲイル? 本当に……本当に、 ジャンは……?」
「ああ。 いくら諦めの悪い貴様でも、 こればかりはどうしようもない」
「もう、 ジャンに会えないのか? 本当に?」
それは質問と言うよりも、 訴えに近かった。
数時間前に悪態をついていたリーダーが 突然死んだと聞かされ、
遺体を確認することも、 見送ることも出来ない。
ジャンの最後の望みは密葬。
立会人のゲイルを除いて、 誰も出席することを許されない式の形である。
「ゲイル、 頼む。 一目でいいから、 ジャンに会わせてくれ。
せめて一言だけ……一言だけ謝らせて……お願いだから」
ゲイルの足元にうずくまり、 トオルはひたすら懇願した。
あんなに嫌っていた相手が、 今はジャンと自分を繋ぐ唯一の架け橋に思えてきて、
無意識のうちに彼にしがみついていた。
「お願いだから、 ジャンに会わせて……会わせてください……」
消え入りそうな声が、 暗闇に包まれた教会の敷地に響き渡った。
折れた心からようやく搾り出した願いは、 扉の番人の胸にも達したはずだが、
残念なことに偉大なるリーダーが安置された場所までは届かなかった。
拒絶の代わりに、 ゲイルがせめてもの提案をしてきた。
「親友として、 ジャンの遺言を破る事は出来ない。
代わりと言ってはなんだが、 コートにあった花を棺の中に入れさせてもらう。
オマエが用意したんだろ?」
「コートに……ジャックストリート ・ コートに行ったのか?」
「ああ。 オマエ達を逃がした後、 残りの連中を片付けて病院に行こうとしたら、 ジャンが……」
時折詰まりそうになりながら、 ゲイルはその後の話をし始めた。

「ゲイル、 悪いが俺をコートへ連れて行ってくれ」
深手を負っているというのに、 ジャンはゲイルにストリートコートへ行くよう頼んできた。
「無茶を言うな、 ジャン。
その体で行っても、 寿命を縮めるだけだ。 それより、 まず医者だ」
「だからこそ頼んでいる。
『伝説のプレイヤー』 が、 病院のベッドなんかで死ねると思うか?」
「ジャン……」
「最後に会えたのが、 オマエで良かった、ゲイル。
他の連中なら、 間違いなく病院に送りつけられている」
口調は冗談めいていたが、 青白い顔と多量の出血が、 残された時間の短さを物語っていた。
テニスコートで死ねたら本望。
いかにも彼らしい願いだった。
親友の気持ちを察したゲイルは、 覚悟を決めてストリートコートへ連れて行った。
丸太の上まで担ぎ上げると、 ジャンは満足そうに頬を緩ませ、 そして例の遺言を伝えてきたのだ。
式は密葬、 立会いはゲイルだけ。 メンバーは解散する。 報復は絶対にしない。
次第に荒くなる呼吸の中で、 リーダーは最後の務めを果たそうとした。
復讐という無意味な争いから仲間を守るために。
「特に 『俺を怒らせる三人』 には、 最後ぐらい俺の言うことを聞けと……伝えてくれ……」
それが誰を指すのか、 ゲイルにもすぐに分かった。
本心は 「怒らせる」 ではなく 「心配させる」 であり、 即ちそれは愛おしさの現れだという事も。

ひと通り話し終えたところで、 ジャンが煙草を持つ真似をした。
「ワガママついでに、 一本いいか?」
「吸うのか、 ジャン?」
高校からの付き合いだというのに、 彼が煙草を吸うとは知らなかった。
「一度止めた……本気でテニスをやろうと思って……」
「そこからして、 違っていたんだな。
結局、 俺は止められなかった。 何もかも中途半端なままだ」
「そうでもないさ。 オマエのおかげで、 俺は再び夢を追いかけることが出来た。
ゲイル、 感謝している……本当に……」
ふうっと白い煙を吐き出すと、 ジャンが遠い目をして微笑んだ。
もうほとんど意識はないはずだが、 何故かこの時の表情は楽しげなものだった。
何か特別な思い出に浸っているような。
間もなくして、 煙草を持つ手が力なく丸太の上に重ねられた。
「……ここで原石……よかった……」
これが 『伝説のプレイヤー』 と呼ばれた男の最後の言葉だった。




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