第 45 話 ウェインの報復

試合イメージ



「リーダー、 大変!」
転がるようにしてテニスショップに飛び込んで来たのは、
ストリートコートのメンバーになったばかりのティントだった。
「ティント、 あのなぁ……」
トオルは汗だくの新入りをスタッフルームへ押し込むと、
リーダーのアルバイト先に押しかける際の最重要事項を
言って聞かせた。
「いいか? 前にも話したと思うが、 ここでは名前で呼んでくれ。
オレの他にも リーダーが二人いるからな。 元、 だけど……」
ここテニスショップの店長は 『ジャックストリート ・ コート』 の初代リーダーである。
そして店内にあるカフェのシェフは五代目リーダーで、
トオルを合わせると 「リーダー」 と呼ばれて振り向く人間が三人いる。
しかもメンバーが慌てて呼びに来たという事は、 ストリートコートに問題が生じたからに違いなく、
すっかり紳士に落ち着いた店長はともかく、 この事がシェフに知れようものなら、
「リーダーがだらしないから、 こうなるんだ!」 と言って、 説教と共に蹴りの二、 三発は食らう羽目になる。
内部事情もよく知るシェフのことだから、 最終的にはバイトを抜け出す許可をくれるのだが、
出来れば乱闘前の負傷は避けたいと思うのが、 現役リーダーの切なる願いである。
わざわざティントをスタッフルームへ誘導したのも、 店の客に気を遣ったわけではない。
元リーダーの年季の入った攻撃から身を守る為だった。

「事情は走りながら聞く。 とにかくコートへ急ぐぞ、 いいな?」
結局シェフに見つかり青アザを三箇所こしらえた体で、 トオルは店からストリートコートまで全力疾走した。
「ウ、 ウ、 ウェインが来たって……」
ティントもそれに続いた。
「ウェインって、 誰だ?」
「クリスが、 そう言えば分かるって」
「言えば分かる」 と聞かされて分からない時ほど恥ずかしい事はないが、 トオルの記憶に存在しない名前だった。
元々横文字の名前を覚えるのが苦手な上に、 自分より強いと思うプレイヤーしか気に留めない人間には、
この手の伝言はクロスワード ・ パズルを解くより厄介な問題である。
「ウェイン、 ウェイン……ああ、 分かんねえや!」
走りながらもトオルは、 消去法から糸口を手繰り寄せようとした。
ストリートコートへ来たという事はテニスに関わる人間で、 それでも覚えていないという事は、
少なくとも試合で負けた相手ではない。
リーダーの全力疾走に必死でついて行きながら、 ティントもパズルの手助けに加わった。
「その人を見るなり、 クリスが震えていたよ。
そんなに怖そうな顔じゃなかったけど……」
「クリスが?」
「他の人達は、 見た事ないって」
「クリスが怯える相手……そうか、 分かった!
あのクソ ・ コーチの名前が、 確かウェインだ」

本来 「クソ」 などという形容詞は、 目上の人に使ってはいけない。
目上に限らず、 どの場面でも極力口にしないよう気をつけるべきである。
しかしウェインに限っては、 トオルとクリスは「クソ」をつけたくなる程、 嫌な思いをさせられている。
平等であるはずの指導者の立場で、 あからさまに生徒を差別したばかりか、
返せないと分かっているサーブをクリスに打ちつけて楽しんでいた最低のコーチ。
偶然、 居合わせたトオルがその卑劣な行為に腹を立て、 大勢の客が見守る中、
掟破りの試合をして打ち負かしたという、 いわく付きの相手でもある。
確か事件後、 彼はホテルを辞めさせられたと聞いていたのだが。

「その人が 『俺がコートを乗っ取ってやる』 って、 いきなり割り込んできて……」
パズルが解けたところで、 ティントが詳細を説明し始めた。
「すごく強くて、 皆やられちゃった」
「ビーとレイも?」
「レイはバイトで、 今日の当番はビーだけど、 まだランチから戻っていない」
これが今の 『ジャックストリート ・ コート』 の弱点でもある。
ジャンがいた頃に比べ、 幹部クラスの層が極端に薄い。
ストリートコートではリーダーが不在の場合、 その場にいるトップを倒せば、
挑戦者が新しいリーダーとなれる決まりになっている。
よってコートを守るには幹部同士でローテーションを組み、 最低でも二人は見張りを残しておかなければ
ならないのだが、 今日に限って、 或いは狙われたのか、 主力メンバーがいない時に乗り込まれてしまった。
「キースまでやられちゃって」
キースは現在ナンバー4のメンバーである。
「まさか、 ウェインがリーダーになったのか?」
「ううん、 ジェイクが……」
「ジェイク?」
「そう。 ジェイクが 『リーダー代理だ』 と言って、 試合を引き伸ばしてくれている。
ボクにリーダーを呼んでくるよう指示を出したのも、 彼だよ」
にわかには信じ難かったが、 可能性がない事もない。
ジェイクは捻くれ者だが、 テニスに関しては実直だとトオルは見ている。
それはティントをメンバーに入れる際のサポートぶりや、 その前後の言動からも判断できる。
恐らく彼の性格からして、 リーダーの留守を狙うような卑怯な奴を許せなかったのだろう。
また、 ほんのわずかな可能性だが、 ジェイクにもストリートコートに対して愛着が湧いてきたのではないか。
そうであって欲しいと願った。

トオルがコートに到着すると、 ジェイクとウェインの試合はタイブレイクまで突入していた。
ネットを挟んで戦う二人の表情は対照的だった。
数ヶ月前に対戦した時と比べて、 ウェインの体は別人のように引き締まり、 余裕の笑みを浮かべている。
かなりのトレーニングを積んで、 なまった体を絞ってきたに違いない。
対するジェイクは、 もう限界だった。
いくらテニスの名門校で鍛えられたとは言え、 コーチの資格を持ったプレイヤーが相手では、 力の差があり過ぎる。
タイブレイクまで持ち堪えてくれただけでも、 奇跡に近い。
「遅いぞ、 リーダー!」
強気で責める口調とは裏腹に、 試合に負けてコートから出てきたジェイクは憔悴し切っていた。
「サンキュー、 ジェイク。 おかげで乗っ取られずに済んだ」
「別に……強そうな奴だったから、 対戦したいと思っただけだ。
それより気をつけないと、 返り討ちにされるぞ」
「ああ、 分かっている。 あれでも一応、 コーチなんだ」
「何!? どうしてコーチがこんな所に?」
ジェイクの疑問は当然である。
まともにコーチの職に就いている者なら、 ストリートコートのヤンキー相手に勝負など挑まない。
「さあな。 けど、 同い年のリーダーが気に入らない誰かさんにとっては、 丁度良かったかも。
オレの代わりにアイツがリーダーになれば、 遠慮なくここのメンバーに入れるだろ?」
ウェインにコートを明け渡すつもりはなかったが、 トオルはわざとジェイクを試すような態度を取った。
「バカ、 あれは本心じゃない。 分かれよ、 それぐらい」
「へぇ……だったら、 その本心とやらは見せてもらえないのか?
それともオレじゃ、 役不足か?」
「そうじゃない。 ただ……」

もう少しでジェイクの本音を聞き出せると思ったところへ、 コートの中からウェインが怒鳴りつけてきた。
「ようやくリーダーのお出ましか?
この前の礼はタップリさせてもらうから、 覚悟しろよ」
残念なことに、 体はアスリートらしくなっても、 「クソ」 がつく性格は昔のままらしい。
「大口叩くわりには、 随分やり方がセコくねエか?」
「うるさい! クズども相手に、 手段なんか選んでいられるか」
「オレの代わりにリーダーになったところで、 コーチほどの給料はもらえないぜ?」
無論、 ストリートコートのリーダーが給料をもらえるはずもなく、 これはコーチを辞めさせられたウェインへの皮肉である。
「そうやって粋がっていられるのも、 今のうちだ。
メンバーの前でたっぷり恥をかかせてから、 追い出してやる。
俺が味わった苦しみを、 オマエにも味あわせてやるからな!」
どうやら彼はコーチをクビになった事を、 トオルのせいだと思い込んでいるらしい。
逆恨みと言うヤツだ。
ウェインは復讐する為にやって来たのだ。
トレーニングを重ね、 体を鍛えあげ、 自分が受けた屈辱を返す為だけに。

トオルはジャケットを脱ぐと、 念入りにウォーミングアップを始めた。
この勝負。 本気でかからないと、 取り返しのつかない事になるかもしれない。
「ダーリン、 ごめんなさい。 元はと言えば、 私のせいで……」
ストレッチをするトオルの背後から、 クリスが消え入るような声で謝ってきた。
ボールをぶつけられた時の恐怖が甦ってきたのか、 彼女の体が小刻みに震えている。
「だいじょうぶだって。 そう簡単にリーダーの座を譲りはしない。
これでも最強の男の下で修行を積んだんだぜ」
出来るだけ余裕のある振りを見せてから、 トオルはティントを呼んだ。
「ティント? 試合が終わるまで、 クリスの側にいてやってくれないか?」
「側にいればいいの? ボクでいいの?」
「ああ、 頼んだぜ」
このやり取りを聞いたウェインが、 憎々しげに絡んできた。
「相変わらず、 オカマには優しいな。 それとも上手く抱き込まれたか?
もう普通の女じゃ満足出来ない体にされたんだろ?」
「ひとつ、 聞きたい事があるんだが……」
ウェインの暴言を無視して、 トオルは事務的に話を進めた。
「ここがストリートコートだと承知の上で、 オレと勝負するつもりなんだよな?」
「当然だ。 雑魚とはハーフマッチで、 幹部とは6ゲームの1セットマッチ。
挑戦者側に、 最初のサーブ権があるんだよな。 全部調べて来たぜ」
「アンタの知っているご立派なコートとは勝手が違うと思うけど、 それでもやるのか?」
「俺はプロのコーチだぞ。 どんなサーフェスだろうが、 貴様を捻り潰してやる」
「そうか……なら、 遠慮なくやらせてもらう。 オレのやり方で。
後で文句言うなよな」
「貴様こそ、 後で吠え面かくなよ」

序盤からウェインは、 トップスピンを多用した攻撃を仕掛けてきた。
表面がコンクリートで覆われているコートでは、 弾み方が大きくなる為に、
どのコートよりもボールの威力が格段に増す。
それを踏まえた上での作戦だろう。
コーチの本領発揮というところか、 豊富な知識に高度な技術、 それに鍛え直した筋力が加われば、
『伝説のプレイヤー』 から直に手ほどきを受けた トオルでも苦戦を強いられる。
打ち負ける ―― と言っても、 パワーの差ではなく、 ラリーを重ねて行く中で
ジワジワと敵のペースに巻き込まれる感覚を、 久しぶりに味わった。
前後左右とコースを打ち分けながら、 ウェインが振り回されるトオルを満足げに見つめている。
「そう簡単には潰さないから、 安心しろ。
たっぷり引きずり回して、 ボロボロにしてから、 追い出してやる」
言うが早いか、 ウェインが トオル目がけてボールを叩きつけてきた。
いきなり頬に走った焼けるような痛み。
テニスボールならではの摩擦が、 熱と痛みの両方を顔面に刻み付けた。
「アンタ……コーチをクビになって、 本当の意味で外道になったんだ」
いくら 「クソ」 でも最低限のマナーは守るだろうと思っていたが、 向こうはどんな手段を講じてでも
トオルをボロボロにしたいらしい。
「こういう勝ち方も、 ここではアリだと聞いて来たもんでね」
自分が付けた傷を見て冷笑するウェインは、 「クソ」 を通り越して、 外道に成り下がっていた。

「なんかヤベエ奴が転がり込んでいるじゃねえか!」
休憩時間から大幅に遅刻したビーが、 今頃になってコートに戻ってきた。
「ああ。 イカレ具合で言えば、 オマエ以上だ」
文句を言いたいのを堪えてトオルが顔を上げると同時に、 ビーの表情が険しくなった。
「トオル、 遅刻の詫びに応援してやろうか?」
脱ぎ去られたジャケットと赤く腫れた頬の傷で、 長い付き合いの相棒は、 リーダーのピンチを察してくれたようだ。
ついでに誰のせいでこうなったかも。
「どうせならこのクソ ・ コーチに、 ストリートコートのテニスがどういうものか、 教えてやってくれ」
「おう、 任せておけ。 それなら今日は最高のストリートコート日和だ」
「間が悪いとも言うけどな」
トオルとビーの二人に不敵な笑みがこぼれた。

昨日は 『July 4th (ジュライ ・ フォース) 』、 つまりアメリカ独立記念日だった。
国民意識の強いアメリカ人にとって、 『July 4th』 は植民地支配から解放され独立を宣言した記念すべき日で、
二百年以上経った今でも、 各地で盛大なパレードやイベントが行われている。
人種の寄せ集めの危険区域では、 アメリカが独立しようが支配されようが知った事ではないが、
お祭り気分を味わえるという点では、 トオル達も都合よく便乗している。
特に花火――空気が乾燥しているカリフォルニア州では、通常花火の使用はもちろん、売買も禁止されている――を
好きなだけ使って遊べる祝日として、 ヤンキーの間では最も評価されている記念日である。
その 『July 4th』 から一夜明けた今日。
ストリートコートがどういう状態になっているか。
聖なるクリスマスでさえ丸太を燃やした悪ガキどもが、 どんな風にコートを使って祝日を過ごしたか。

「よりによって 『July 4th』 の翌日に乗り込んでくるとはねぇ。
ホント、 間の悪い奴……」
丸太に上がるビーのピンク髪が、 楽しげに揺れた。
ウェインが二人の会話の意味を理解したのは、 その直後だった。
トオルから送り込まれたのはコーナーギリギリの際どいコースではあるが、 チャンスとも言えるイージーボールだった。
ところが絶好球を追いかけようと踏み込んだ途端、 ウェインはヌルリとした感触と共に脚を滑らせ転倒した。
「トオル、 そこビンゴ!
俺様がローストポークぶちまけたのは、 ちょうどその辺りだ!」
大はしゃぎするビーの発言を聞いてウェインが慌てて上体を起こしたが、 時すでに遅く、
油の混じった肉汁が白いテニスウェアに染み付いた後だった。
テニスソックスにも、 そしてシューズにも。
「ローストポークだと!? まさか貴様等、 ここで食ったのか?
テニスコートでローストポークなんか食ったのか!?」
「ああ、 ここはリビング、 ダイニング、 寝室、 全て兼用のコートだから」
トオルの説明に、 ビーが補足を入れた。
「ちなみにチキンサラダとチェリーパイと、 あとバーベキューもやったんだぜ!」
長年整備されたコートを職場としてきたコーチには信じられないだろうが、 アメリカ独立記念日に当たる昨日、
『ジャックストリート ・ コート』 はヤンキー達の宴会場と化していた。
「くそっ! シューズが油まみれだ」
まるでおぞましい物を見るような目つきで、 ウェインが脂ぎったシューズを睨みつけた。
コンクリートのサーフェスを想定し、 クッション性が高く、 程よくブレーキングの効くシューズを吟味して
履いてきたというのに、 肝心の靴底にはラード状になった油が隙間なく埋め込まれている。
これでは、 せっかくの高性能がまるで機能しない。
「どうする? そんなシューズで、 まだ続けるか?」
「貴様……もしかして、 わざと滑りそうな所を狙ったのか?」
「こういう勝ち方も、 ここではアリなんだせ。 特に外道に対しては」
「上等だ。 たった1セットぐらい、 すぐに終わりにしてやる!」
見るからにベタつくと分かるシューズを履いたまま、 ウェインはコートへ戻っていった。

この時まではウェインにも勝算があった。
磨きのかかったトップスピンを軸にして追い詰めていけば、 ヤンキーごときに負けるはずはないと。
ところが、 さっきまで振り回されていたはずのヤンキーは、 強打したはずのスピンボールを難なく返してくる。
靴の滑りを気にしてスピードが落ちたかもしれないが、 その分回転数を上げて打ち込んでいるというのに。
その動揺を見透かしたように、 トオルが追い討ちをかけてきた。
「悪いけど、 アンタの知っているコートだけがテニスコートじゃない」
「どういう事だ?」
「このコート、 特に左サイドはカビが多くてさ。
少しぐらいトップスピンかかっていても、 効かないんだよね」
「カビだと? コートにカビまで生えていると言うのか?」
「そろそろブラシかけなきゃヤバイかなって思っていた時に、 アンタが来たからさ。
ホント、 色々な意味で間が悪いよね」
あり得ないような話だが、 コート内で食事をする奴等なら、 カビを生やしたとしても不思議ではない。
左サイドへ打ち込む度にボールの表面にカビが付着していたとしたら、 トップスピンの威力が落ちたのも納得できる。

ウェインのボールが右サイドへ集中し始めたのを見計らって、 トオルが新たな忠告を加えてきた。
「ついでに言えば、 右サイドを狙うのも止めておいた方がいいぜ。
何か匂わない? きな臭いって言うのかなぁ……」
肉汁の方が強烈で気付かなかったが、 言われてみれば火薬の匂いがしなくもない。
「まさか、 ここで花火を?」
ウェインの質問を、 丸太の上のビーが引き継いだ。
「正確には火薬をコートにこすり付けた」
「な、 何故、 そんな危ない真似を?」
「俺様、 一度でいいから日本のアニメみたいにコートから火花出をしたてみたくてさ。
打った瞬間に、 地面からズキューンって火花が走るヤツ。 格好いいだろ?
昨日、 花火をばらして実験したんだぜ」
「貴様等、 馬鹿か?」
「安心しろ。 アンタ側のコートではやっちゃいない。
実験会場は、 主にトオルの右サイドだ。 ほら黒くなっているだろ?
あ、 でも……さっきの肉汁の油と、 火薬が混ざれば、 もしかして!?
ボールが燃えるパターンが実現するかもな!」
呆れるとしか言いようのない所業だが、 ウェインには好都合だった。
恐らく彼らは右も左も打てないと仄めかし、 コースをセンターに集中させようと目論んでいるのだろうが、
仮にこちらが右サイドへ打ち続けた場合。
トップスピンの威力を落とす事なく攻撃できて、 上手くすれば火薬と油を含んだボールがバウンドした拍子に発火して、
あの忌々しいリーダーは火傷を追うかもしれない。
ここへ来た本来の目的はコートを乗っ取る事ではなく、 トオルを痛めつけて追い出す事なのだから。
「そろそろ遊びは終わりしてやる」
ウェインが渾身の力を込めて強打した時だった。

「ああ、 そうだな。 遊びは終わりにしよう。
ジェイク、 面白いもの見せてやる。 同い年が気にならないぐらいの取って置きのヤツを」
トオルはこのチャンスボールを待っていたのだ。
コーチレベルのプレイヤーが本気で打った充分に回転の含まれたトップスピンを。
皆の視線が、 流れるように引かれたトオルのラケットに集中した。
ある者は何が起こるか分からず首を傾げ、 またある者は好奇心から目を輝かせて。
そして丸太の上にいるビーは、 作戦成功とばかりに満面の笑みを浮かべた。
まるで磁石のように吸い寄せられたトップスピンが 、トオルの手元でまったく異なる球種に生まれ変わる。
それはドリルによく似た回転を帯びてラケットから離れた後、 緩やかにネット際で上昇し、
越えたと同時に急激に下降して、 相手コートのベースラインから出て行った。
その場にいるほぼ全員が初めて見るショットに口もきけない状態だった。
「今のショットは、 一体?」
メンバーの中で、 いち早く我に返ったジェイクが トオルに問いただした。
「ドリルスピンショット」
「スライスをかけたのか? トップスピンの返し技に見えたけど……」
探究心で一杯になった身を乗り出してジェイクが畳み掛けてきたが、 トオルはわざと意地悪な質問を返した。
「それはリーダー代理としての質問か?
メンバーでもない奴に、 大事な決め球の解説をする気はないんだけど?」
「何だよ、 それ? 勿体つけるなよ」
「そっちこそ、 いい加減観念してメンバーになったらどうだ?」
「自分より弱い奴に従うのはご免だからな。
だけど、 この試合に勝ったら考えてやってもいいぜ」
「今のショットだけじゃ不服という訳か。
分かった。 人間を賭けて勝負するなんて、 たぶんストリートコート始まって以来だろうけど、
この試合の戦利品はジェイク、 オマエだ」

トオルはバウンドさせてボールの感触を確かめると、 ウェインの方へ向き直った。
「そういう事だから、 ここから先は本気でやらせてもらう」
「ふざけるな! 今まで本気じゃなかったと……」
相手に聞き返す間も与えず、 トオルはサーブの体勢に入った。
「いいや、 本気だった。 だけど、 戦利品の価値によって本気度は変わる。
クソ ・ コーチを倒すよりも、 リーダー代理を手に入れる方が、 オレにはよっぽど価値があるからな」
前にトスを上げる独特のスタイルから繰り出されるサーブは、 トオルがジャンの下で改良を重ねて完成させた
『ブレイザー ・ サーブ』 だった。
その威力がプロ並みである事は言うまでもない。
ボールに触れる事さえ出来ない相手に向かって、 トオルは淡々とサーブを送り込んだ。
力を誇示するようなプレイは好きではないが、 たぶんジェイクには必要なのだろう。
同い年のリーダーにつき従うだけの確かな理由が。
ストリートコートに身を堕す覚悟を決められるだけの確かな証明が。
第1ゲームを 『ドリルスピンショット』 で巻き返し、 続くゲームを 『ブレイザー ・ サーブ』 で点差を突き放したトオルは、
着実に自分のペースで試合を進めていった。
ライジングリターンも、 ネットをつたって落ちるドロップボレーも。
これまで 『ジャックストリート ・ コート』 で学んだ全ての技術を見せ付けるようにして。

序盤こそ苦戦したものの、 終わってみればトオルの圧勝だった。
ゲームカウント 「6−0」。
本気を出すと宣言してから、 1ゲームも譲らず勝利したのだ。
反対に 「どんなサーフェスだろうが捻り潰す」 と宣言したコーチは、
いまだ納得のいかない様子でクレームをつけ始めた。
「汚い真似しやがって……こんな非常識なコートで、 まともな試合が出来るか!」
「だから最初に確認しただろ。
ここはアンタの知っているご立派なコートとは違う。 『ジャックストリート ・ コート』 だ」
「だったら、 他所のコートで再戦だ。 明日、 ホテルのテニスコートへ来い」
「無駄だと思うけど?」
「他のコートでやって、 負けるのが怖いのか?」
「いいや……」
丸太の上にチラリと視線を送ってから、 トオルは最後の種明かしをした。
「コートのことなら、 ローストポーク以外は全部嘘だ」
「何だと?」
「いくらなんでもカビが生えるまで放っておかないし、 火薬で遊ぶような馬鹿な真似はしない。
あれはアンタからトップスピンを誘い出すための作戦だ。
ドリルスピンショットは、 半端な回転数じゃ決まらないからさ」
この種明かしを聞いて、 丸太の上のビーがニヤリと笑った。
「大人のくせして、 こんな嘘信じるなんてバッカじゃねえの?
それとも俺様の演技が上手かったって事か? なあ、 トオル?」
ビーが遅刻して戻ってきた時、 二人の間で交わされた短い会話の中に、 すでに今の作戦が組まれていた。
ローストポークの話でペースに乗りかけた相手の集中力を奪い、 続いて火薬とカビの話を織り交ぜながら、
『ドリルスピンショット』 に必要な切れのいいトップスピンを誘い出したのだ。
正直、 ここまで上手く行くとは思わなかったが、 最初のローストポークの衝撃が強すぎたのか、
予想以上に簡単に信じてくれた。

「さすがと言いたいところだが、 ビー?
オマエには遅刻の処罰を受けてもらう」
「ゲッ、 マジ!?」
本来なら相棒ならではのサポートに感謝すべきなのだが、 トオルにはまだ片付けなければならない問題があった。
「長時間コートを空けた罰として、 今日から秘書の面倒を見ろ」
「秘書?」
秘書と聞いて、 メンバー達が最初に思い浮かべたのはクリスだった。
ところが トオルが指差したのは、 彼女の隣にいるティントである。
「約束通り、 ジェイクにはうちのメンバーになってもらう。
だからティントは、 ビーの秘書になれ」
「ボ、 ボクが秘書?」
「秘書と言っても、 コートの出入りは自由だ。 今までと何も変わりはしない。
但し、 今後は何をするにもビーの指示を仰げ。
練習内容とか、 トレーニング方法も、 プライベートも。 好きなだけアイツを頼っていいぞ」
肩書きは 「秘書」で も実態は違うと分かり、 ビーは激しく抗議した。
「だったら素直に五十一位を作ればいいじゃねエか!
俺様、こ んな泣き虫の面倒なんて、まっぴら御免だ」
「テニスショップからコートまで、 ティントはオレの走るスピードについて来た」
「何だって?」
トオルの脚の速さはビーと同格である。
それについて来たと分かり、 ビーのティントを見る目付きが変った。
「基礎はジェイクが教えてくれている。
スピード重視のビーのスタイルが、 ティントには一番合っていると思うんだけど?」
「俺様、 人に物を教えるなんて柄じゃない」
「だから、 やってみればいい。
人に教える事で、 自分も教わることがある。
それにビーなら、 ティントの気持ちを分かってやれるはずだから」
家族から疎まれ、 周囲の誰からも自分の存在を認められない。
その孤独を分かってやれるのは、 同じ痛みを持つ人間だけである。
「今度はオレ達が居場所を与える番じゃないのか?
この意味、 ビーなら分かるよな?」

観念したような溜め息が一つ。 その後で、 ビーがティントを呼び付けた。
「おい、 クソチビ!」
前のリーダーから 「ここにいていい」 と言われ、 ビーはストリートコートのメンバーになった。
行き場のない孤独から救われ、 自分の居場所を勝ち取るだけの力を授けられた場所。
同じ言葉をティントに差し伸べる事で、 また新たな絆が生まれる。
「今日から俺様のパシリとして、 ここにいろ」
「本当に、 いいの?」
「ああ、 但し一人前になるまで手を抜かないから覚悟しろよ」
「は、 はい、 コーチ!」
「ちょっと待った。 俺様はコーチって器じゃない」
「じゃあ、 なんて?」
「そうだな……トオルがリーダーだから、 俺様はボスと呼べ」
「はい、 ボス!」
メンバーの中で最もイカレた男と、 最も気の弱い少年の奇妙なコンビは、 こうして結成された。
そして新たなコンビがもう一組。
「一応約束だし……アンタをリーダーと認めてやるよ」
「一応約束だし……後で ドリルスピンショットの正体、 教えてやるよ」
ジェイクとトオル。 同い年の、 一筋縄ではいかない負けず嫌いコンビもここに結成された。




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