第 46 話 スポットライトの妖精たち

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ジェイクがストリートコートのメンバーに加わった事で、 トオルの生活は
大きく変わった。
強敵が現れると昼夜問わず呼び出されていた日常が、一転して穏やかなもの
となり、 最初は警戒していたメンバー達もジェイクの指示を仰ぐようになった為、
リーダーの肩にのしかかっていた責務は激減した。
現在彼は、 ビーとレイを押しのけナンバー2の座にまで登り詰めている。
プロのコーチを相手にタイブレイクまで持ち込める実力もさることながら、
冷静に状況を見極めて的確な指示を出す判断力は、 幹部の中でも秀でている。
かつてのゲイルのような存在 ―― と言っても、 向こうはリーダーを補佐する
つもりは毛頭なく、 相変わらず反抗的な態度を繰り返しているが、
それでも頼りになるナンバー2がいてくれるだけで トオルは満足だった。
何より、 等身大の自分に戻れる。
やらねばならない事に縛られるのではなく、 やりたい事に時間を使える自由がある。
長い間遠ざかっていた 「中学生らしい生活」 を送れるようになったのだから。

トオルは余った時間を、 迷わずファッション・ショーのアルバイトにつぎ込んだ。
ごく一般的な容姿をした中学生に与えられた仕事と言えば、 体力勝負の大道具だが、
リハーサルまで付き合わされるせいか、 裏方にしては給料が良い。
時間的な余裕ができた今、 ここで一気に稼ぎまくるチャンスである。
現状から判断して、 カフェの皿洗いとホテルの仕事だけでは、 光陵学園へ戻れたとしても
高校二年の秋になる計算だった。
かろうじてハルキと戦うチャンスはあるが、 世話になった先輩達とは一緒にプレイ出来ないまま終わってしまう。
何とかして高校入学の春には間に合わせたい。
それが無理なら、 せめて高校一年の夏までには。
この願望を叶える為にも、 ファッション・ショーのアルバイトは必要不可欠な存在だった。

事務所からショーが行われる会場を教えてもらうと、 トオルとエリックは大喜びで向かった。
同じ家に住むエリックもまた、 将来の夢を叶えようと地味なアルバイトを細々と続ける同志である。
気心知れた親友と大金を稼げるチャンスとあって、 二人共がはしゃいでいた。
ところが会場に入るとすぐに、 この浮かれ気分は一掃された。
「エッリク、 どうやら今回のステ・マネはハズレらしいな」
「うん。 かなり神経質そうだね」
「ステ・マネ」 とはステージ・マネージャーの略で、 舞台進行を任されている責任者のことである。
華やかな世界に何度か出入りしているうちに、 素人ながら トオル達にも舞台裏が分かってきた。
照明の色を番号で呼んだり、 物の名前を省略したりの特殊な業界用語に加え、
モデル以外の舞台に立たないスタッフ達によってショーが支えられている現状も、
この仕事に携わって初めて分かった事である。
特にステージ・マネージャーは重要な存在で、 彼の器量によって、 仕事の進み具合が違ってくる。
ユーモアたっぷりのマネージャーに当たれば、 リハーサルから本番までテンポ良くこなせるが、
几帳面なマネージャーに当たれば四六時中緊迫した空気が流れ、 余計な気を遣う分だけペースも落ちる。
残念な事に、 今回は神経質、 且つ几帳面なマネージャーが担当するらしく、 スタッフ全員がピリピリしていた。

資材の搬入を任されたトオルとエリックは、 緊迫した空気の中で仕事に取り掛かった。
とは言え、 ヤンチャ盛りの少年二人である。
ステージ上に漂う緊張感を逆手に取って、 おどけた顔をして見せたり、 スタッフのちょっとした仕草を真似したりして、
お互いを笑わせる事に新たな楽しみを見つけた。
人間、 笑ってはいけないと思う時ほど笑いたくなるものである。
また人が必死になって笑いを堪える姿を見るのも、 可笑しいものである。
二人は仕事をそっちのけで互いを笑わせる事に躍起になり、 この悪戯がエスカレートして、
最終的には周りのスタッフまで巻き込んでいった。
無論プロのスタッフ達は、 本気で悪戯に参加しているわけではない。
適度に場が和んだ方が、 仕事がやり易くなる。
そんな配慮から他愛もないお遊びを容認していたのだが、 これを好ましく思わない人間もいた。

「ちょっと、 遊び半分で来たのなら今すぐ帰ってちょうだい!」
せっかく和らいだ空気を険悪なムードに戻したのは、 カリナというモデルだった。
イタリア系アメリカ人の彼女は、 マスカラで固まった瞳を器用に吊り上げ、
悪戯の中心人物であるトオルを上から睨みつけている。
平均身長が高いモデルの中でも彼女は一際大きく、 女性としてみれば厳 (いか) つい部類に入る。
その高い身長と着映えのするスタイルが、 モデルの間では羨望の的となるのだが、
上から物を言われるのが最も気に障る年頃の少年には、 ただの高慢な女としか映らない。
「別に遊んでいるわけじゃねえよ。
ただ、 どうせ仕事するなら楽しくやろうと思っただけだ」
口を尖らせて苦しい言い訳をするトオルを、 カリナがピシャリとやり込めた。
「いいこと? アナタ達裏方はどうだか知らないけれど、 私達モデルは楽しくやる必要はないの。
このショーに人生を賭けている人間もいるのよ。
遊び半分で仕事をするなら、 大道具なんか辞めちゃいなさい。 代わりはいくらでもいるわ!」
彼女の意見が正しい事は分かっているのだが、 高飛車な言い方がどうにも我慢できなくて、
ついボソッと余計な一言を発してしまった。 しかも彼女とまったく同じ口調で。
「そっちこそ可愛げないから、 モデルなんか辞めちゃいなさい。 代わりはいくらでもいるわ」
「何ですって!? 誰か、 この失礼な日本人を早く追い出してちょうだい!」
モデルのプライドを打ち砕く発言に逆上したカリナは、 周りのスタッフの制止も聞かず、 自分が女だという事も忘れて、
今にもトオルに掴みかかりそうな勢いである。
どうやらプロのモデルを本気で怒らせてしまったらしい。

「カリナ? 彼はアルバイトだから、 今回は大目に見てあげて」
神経質なマネージャーの耳に届く直前で、 騒ぎを上手く収めてくれたのは、 シェリーという別のモデルだった。
厳ついカリナとは対照的に、 彼女は骨が折れるかと思うほど線の細い体をしている。
「貴女の得意技ね。 そうやって誰にでも媚を売るのは」
皮肉たっぷりに攻撃してくる同僚を気に留める様子もなく、 シェリーは トオルに向き直った。
「今日はいつもと雰囲気が違うから やりにくいと思うけど、 皆がこの日の為に長い時間をかけて準備をして来たの。
君も協力してくれるわよね?」
「ええ、 まあ……」
「私はシェリー・マックファーレン。 君の名前は?」
「トオル・マジマ」
「トオルね。 陽気な大道具さんと一緒に仕事ができて、 とても嬉しいわ」
そう言ってシェリーは気さくな笑顔を向けてきたが、 ばつの悪いのもあって、 トオルはふいと顔を背けた。

同じ事務所のスタッフの話によると、 裏方には横柄な態度を取る人間が多い中、
シェリーは誰でも分け隔てなく接すると評判のモデルだった。
しかも美人である。 モデルをするぐらいだから整った顔は必須条件かもしれないが、
彼女の場合は自然と人を惹きつける魅力がある。
整形を重ねた人工的な美ではなく、 受け入れられ易い美人というのか。
金貨にしか使わないと思っていた黄金 (こがね) 色。
この形容詞がぴたりと当てはまる豊かな金髪。
海を思わせるような深く澄んだサファイア・ブルーの瞳も。
小柄ではあるけれど、 彼女もまた、 他のモデルたちからは羨望の眼差しを受けている。
但しカリナは、 この対照的な容姿を持つイギリス系アメリカ人のシェリーを、
疎ましく思っているのではないかとの話だった。

正直なところ、 気性の激しいカリナも、 性格がいいと評判のシェリーも、 トオルには同じ人種に見えてしまう。
アメリカ人のくくりではなく、 「表面でしか付き合えない人種」 という意味で。
シェリーに笑いかけられて顔を背けたのも、 ばつが悪い他にも、わざとらしく見えたからである。
仕事柄、 モデル達は自分の魅せ方を心得ている。
どの角度から見てもらえば美人と言われるかを。
表面上の付き合いが多い大人達はともかく、 取り繕うことを知らないお子様は、
このモデル特有の作り笑いが苦手だった。
顔は笑っているが、 目は笑っていない。
意思が読み取れるはずの瞳まで飾り立てられていて、 まるで感情が伝わってこない。
見ようによっては芸術作品だが、 トオルには気色の悪い人形にしか映らなかったのだ。

リハーサルが終了し、 本番の始まる直前に、 もう一度シェリーが話しかけてきた。
「紅茶の方が好きって聞いたから……」
トオルの紅茶好きをスタッフから聞いて、 わざわざ入れて来てくれたようだ。
「私もコーヒーより、 紅茶が好きなのよ。
アメリカでは不思議な顔をされるけど、 日本はそんな事ないでしょ?」
いくら笑顔が嫌いでも、 本職のモデルにここまで気を遣われては無視するわけにもいかず、
仕方なく トオルは答えを返した。
「日本ではガキ扱いされます。 オレ、 苦いの嫌いだから」
「あら、 私から見れば、 すごく大人に見えるのに」
絶対に嘘だと思った。
先程の幼稚な言動を見た後で、 大人だと思うはずがない。
「あの……あまり気を遣わないでください。 オレ、 ただのアルバイトだし」
「迷惑だったかしら?
私は一緒に仕事をするスタッフとは、 出来るだけコミュニケーションを取りたいと思っているのだけど?」
コミュニケーションという言葉を聞いて、 トオルは思わず紅茶を噴出してしまった。
人形のような作り笑いをする人間が、 真面目な顔でコミュニケーションを取りたいと言ったのが、
ひどく滑稽に思えたのだ。
しかし笑った後から、 後悔した。
彼女は紅茶を噴出すほどの理由が分からずに、 サファイア・ブルーの瞳を曇らせている。
普段は脳と口が直結している人間も、 この状況で本心は言い辛い。
「あ、 いや……えと……コミュニケーションって言われたから……その……」
言葉を選ぶという作業は、 これほど頭を使うことなのか。
直球勝負のトオルには至難の業である。
「無理しなくていいから、 正直に言って欲しいわ」
様子を見兼ねたシェリーから、 助け舟が出された。
「本当にいいのか?」
「ええ」
躊躇しなくはなかったが、 トオルは思っている事を正直に彼女にぶつけてみた。
「アンタもそうだけど、 ここにいるモデルは不自然に見える。
頭の中と顔が違う奴って、 オレは信用できないし、 そんな連中と分かり合えるとは思えない」
「頭の中と顔が違う?」
「アンタ笑っているけど、 本当は笑っていない。
本心を見せない奴からコミュニケーションなんて言われたら、 可笑しいだろ?」

リクエストどおりに本音を言ったものの、 明らかにショックを受けているシェリーを見て、
トオルはやはり止めておけば良かったと思った。
きっとこの後、 肩が震えて、 唇を噛むと同時に涙が溜まる。
ストレート過ぎる発言で何度か女性を泣かした事があるだけに、 この手順はよく分かっている。
モニカの時がそうだった。
そして泣かした後に、 必ず誰かから 「考えて物を言え」 と説教されるのだ。
しかしプロのモデルのシェリーは、 少し勝手が違っていた。
「そうかもしれないわね」
最初に彼女が口にしたのは、 自分が傷ついたはずの言葉を認めるものだった。
そして、 おもむろに話題を変えてきた。
「トオルには、 何か夢中になれるものがある?」
「テニス」
「即答という事は、 よっぽど好きなのね」
「ああ、 オレにはテニスしかないから。
でも、 テニスさえ出来れば充分だとも思う」
「テニスしかないか……」
さっきまで人形と同じに見えた瞳の中に、 わずかだが光が差したような気がした。
「私も、 この仕事しかないと思っているのよ。
モデルを続けられれば、 充分だってね。
だから、 どんなに屈辱的な言葉を浴びても、 モデル仲間から非難されても、
ショーを成功させる為には何でもやるわ」
この時ほど不用意な発言を後悔した事はない。
作り笑いと感じた笑顔の下には、 子供の自分が考えも及ばない信念が隠されていた。
同僚のモデルに嫌味を言われても、 年下のアルバイトのご機嫌を取ってでも、
彼女は皆が円滑に仕事をこなせる環境を作っておきたかったのだ。
全てはショーを成功させる為に。
夢中になれるものの為に。 これしかないから。

「ゴメンな、 シェリー。
オレ、 仕事の内容もよく知らないで、 不自然だとか言って」
直球人間のせめてもの救いは、 自分が悪いと思った時、素直に謝れるところである。
「勘違いしないでね。 トオルを責めたわけじゃないの。
ただ私の仕事をもっとよく理解して欲しかったの。
ファッション・ショーってね、 チームワークが一番大事なのよ。
モデルだけでも、 ステ・マネだけでも、 大道具だけでも成り立たないわ。
皆がそれぞれの持ち場で最大の努力をした時、 初めて最高のショーが出来上がるの。
その為にも、 コミュニケーションを取っておきたかったのよ」
華やかなモデルの世界では、 足の引っ張り合いはあってもチームワークは無縁のものだと思っていたが、
彼女の話を聞いて、 それは偏見だと気がついた。
住む世界に関係なく、 本当にプロ意識の高い人間は大切なものを見失わない。
個人の力だけでは偉業を成し得ない現実も。
少し間をおいてから、 シェリーがふと寂しげな笑みを浮かべた。
「それにトオルが言った事は事実だもの。
笑顔を仕事にすると、 いつの間にかプライベートでの笑い方を忘れてしまうのね」
「いや……あれは、 その……」
「心配しなくても、 だいじょうぶよ。 傷ついた訳じゃないから。
信じてもらえないかもしれないけど、 私、 正直な人好きなの。
夢を持って進んでいる人もね。
だからトオルには分かって欲しかったのね、 きっと」

実はシェリーがアルバイトにまで気を配ったのには理由があった。
今日のショーには、 客席に多くのスカウトマンが紛れ込んでいるとの噂が流れていたのだ。
大規模なファッション・ショーのモデルを発掘する為に、 時々地方の舞台にもスカウトマンが顔を出す事もあるらしく、
マネージャーを始め他のモデル達も、 皆落ち着きを失くしている。
なかなか陽の目を見ないモデル達には、 まさしくビッグ・チャンスとなるのだから無理もない。
彼女は浮き足立った雰囲気が感染して、 肝心のショーに影響が出る事を恐れていた。
「シェリーは何かしなくていいのか?
スカウトマンの目に留まるように、 マネージャーに内緒で派手なセッティングでもしてやろうか?」
「いいのよ、 そんな事はしなくても。
私はこの舞台を成功させたいだけ」
「だけど、 せっかくのチャンスなんだろ?」
再び口を尖らせるトオルに、シェリーが穏やかな口調で諭した。
「例えばトオルがテニスの試合をするとして、 チームメイトに何を望むかしら?
派手な応援? それとも?」
「自分のプレイに集中して欲しい」
「だったら、 分かるわよね。 この舞台は私にとってテニスの試合と同じなの」
試合と舞台が同じだと説明されて、 ようやく トオルも納得した。
目の前にある小さな舞台のみに集中する。
それは出場できるか分からない大きなトーナメントよりも、
自分が守るべきストリートコートでの勝負を優先するのと同じ心境なのだろう。
ステージ・マネージャーからタイムキーパーを通して送られてくる合図を見て、 シェリーが立ち上がった。
「そろそろ本番が始まるわ。 自分の持ち場で最大の努力をお願いね。
それから……」
一度はバック・ステージへ行きかけた足を止めてから、 彼女はトオルの耳元でそっと囁いた。
「本当は、 私もカリナに対して思っていたのよ。
『可愛げないから、 モデルなんか辞めちゃいなさい』 ってね」
その茶目っ気タップリの笑顔が、 忘れたと言っていたプライベートでの笑みではないか。
彼女の素顔を知らないトオルだが、 直感的にそう思った。

ファッション・ショーが始まった。
基本的に大道具はアクシデントでもない限り、 本番終了後の搬出まで仕事はない。
暇なのと、 好奇心も手伝って、 トオルはエリックと共に舞台袖でショーを見守った。
スポットライトが点灯すると同時に、 モデル達が見る見るうちに輝き出した。
人工的な光にもかかわらず、 彼女たちは陽光の中を飛び回る妖精にも似た美しさで、 観客を魅了していく。
性格の悪いカリナも、 スポットライトの魔法にかかれば汚れない人間に見えてくる。
だが舞台にいるのは、 必ずしも妖精だけとは限らない。
中でも一際輝いて見えるシェリーの活躍を嫉ましく思う人間もいる。
事件が起こったのは、 ちょうどショーの中盤に差しかかった頃だった。
シェリーがラストで着る予定だったウェディング・ドレス。
この袖口のボタンが一つだけ切り取られていたのだ。
こういうアクシデントに備え通常は多目に用意しているのだが、 今回は予備のボタンまで無くなっていた。
どう考えても内部の犯行である事は間違いないが、 犯人探しよりもボタンを捜すほうが先である。
タイムキーパーの割り振りでは、 引き伸ばしたとしても三十分後にはラストに突入するという。
「フラワー・コーディネーターを呼んで、 ブーケを変えさせろ」
ステージ・マネージャーの意見は、 取れたボタンをそのままにして、ブーケの形を変えて袖口を隠すと言うものだった。
残された時間を考えれば妥当な策ではあるが、 シェリーは納得しなかった。
デザイナー、 スタイリスト、 着付け担当のフィッターにまで掛け合って、 同じボタンの在庫がある店を聞き回っている。
「シェリー、 諦めろ。
仮に店が見つかったとしても、 この混雑では会場から車を出すだけでも時間がかかる。
新しいボタンを買って来て縫い直すなんて、 到底無理な話だ」
妥協案を通そうとするマネージャーに、 初めてシェリーが強い口調で反論した。
「諦めるのは、 まだ早いでしょ?
ボタン一つでも欠けていたら、 最高の舞台ではなくなるわ」
「それをカバーするのもモデルの仕事だ。
今日は各地からVIPが来ている。 失敗は許されない」
「来てくれたお客様の為じゃなくて、 VIPの為に安全策を取ると言うのなら、 その時点でショーは失敗だわ」
「分かったような事を言うな。 今までの俺の努力を台無しにする気か?」
「これはマネージャーだけの問題じゃないわ。 私達、 全員のショーなのよ!」

細い体の何処にこんな気迫が隠れていたのかと思うほど、 最高の舞台にこだわるシェリーは、
マネージャーを始めとする周囲のスタッフを圧倒した。
すると、 そこへ一人のスタイリストの携帯電話が鳴り、 在庫のある店を探し当てたという情報が入った。
彼女の熱意に打たれたスタッフの誰かが、 こっそり探してくれたらしい。
「メインストリートに五階建てのテニスショップがあるでしょう?
その隣の店に例のボタンがあるそうよ。 どうする、 シェリー?」
用件を伝えたスタイリストも、 手放しで喜べない様子だった。
在庫があっても車を出すのに時間がかかるなら、 ラストには間に合わない。
ボタンを縫い付ける時間を含めて、 最低でも十五分のうちに行って帰って来なければならないのだから。
「シェリー、 オレが行ってきてやる」
意気消沈しかけたムードが漂う中で、 自信満々で名乗りを挙げたのはトオルである。
「行くと言っても、 十五分じゃ無理だわ。
それに免許だって持っていないでしょう?」
「免許はないけど、 脚があれば充分だ」
「車でも片道十分はかかるのよ?」
「裏道を使えば問題ない。 あそこら辺は庭みたいなものだから。
大道具の仕事では怒られてばっかだけど、 足の速さなら少しは自信あるんだぜ」

最終的にステージ・マネージャーの同意も得て、 トオルがボタンを取りに行く事になった。
信号待ちのない裏道を選んで走りながら、 時間内に帰ると信じて待っていてくれるスタッフの顔を思い浮かべた。
裏口からバック・ステージまでの通り道を確保しようと指示を出す大道具の仲間達。
時間を調整し直すタイムキーパーとステージ・マネージャー。
ウェディング・ドレスの前で待つスタイリスト、 フィッター、 それにモデルのシェリーも。
自分の持ち場で最大の努力をする ―― ショーが始まる前に言われた言葉の意味を改めて噛み締めた。
持ち帰るものは小さなボタン一つだが、 これには皆の想いが込められている。
最高のショーにしようと決めたスタッフ全員の想いが。
「お疲れさま、トオル。 大活躍だったね!」
約束通り十五分で戻ってきたトオルを出迎えてくれたのは、 親友のエリック一人だった。
他のスタッフは声をかけてくれるものの、 それぞれが持ち場の仕事をこなすのに忙しく、 手が離せない様子である。
しかし満足感はあった。
特にシェリーがウェディング・ドレスを来て舞台へ上がった瞬間は、 試合で勝利を収めた時と同じ類の感動が
心の底から込み上げてきた。
スポットライトを浴びた花嫁を、 何も知らない観客達はうっとりと眺め、
舞台裏ではスタッフ全員が誇らしげに見つめていた。

無事にフィナーレに突入したのを見届けてから、 トオルは側にいる親友に素直な感想を漏らした。
「なあ、 エリック? どんな事でも真剣にやっている奴って、 格好いいよな?」
「うん、 そうだね」
「オレさ、 こういう場所で働く奴ってチャラチャラした人間ばかりだと思っていたけど、 実際は違っていた」
「僕もだよ。 今日一日仕事をしてみて、 僕には彼らが白鳥に見えた」
「白鳥?」
博識の親友は、 時おり突拍子もない物を話の例えに持ち出してくる。
「そう、 白鳥。 表面上は優雅に振舞っているけど、 水面下では必死に足を動かして泳いでいる。
もしかしたら僕の目に映っていた大人達は、 多かれ少なかれ白鳥だったのかなって思う。
皆落ち着いて見えるけど、 影では一生懸命努力している。
そんな大人になれたら、 素敵だなって……」
「エリックらしいな。
オレだったら誰にでも分かるように努力して、 思いっきり自慢してやる。
『どうだ、 すげえだろ? 悔しかったら同じぐらい努力してみろ』 ってさ」
「そっちこそ。 いかにもトオルらしいよ。
でも君なら、 本当にそんな大人になりそうだね」
呆れるでもなく、 茶化すでもなく。 柔らかなエリックの視線には、 あけっぴろげな友の性格を心底羨む気持ちと、
是非とも実現して欲しいとの願いも込められていた。

ショーは大成功を収め、 デザイナーへの賞賛の拍手と共に幕を閉じた。
本来なら大道具は舞台の解体と搬出に追われる時間であるが、 トオルの作業する手は止まっていた。
ボタンを盗んだ犯人が気になるのである。
「なあ、 エリック?
オレは絶対、 あのデカイ女が怪しいと思う」
「僕もそう思うけど、 ステ・マネや他のスタッフも追及しないし、 あまり騒ぎを大きくしない方がいいと思うよ」
「だけどキッチリ締め上げておかないと、 またやられるかもしれないだろ?
どう見たって、 あれは内部の人間の嫌がらせだ。
このまま放っておくなんて、 納得いかない」
すると、 そこへ着替え終えたシェリーがやって来た。
「放っておいていいのよ、 トオル」
「なんでだよ? 一番嫌な思いしたのは、 シェリーだろ?」
「この業界では、 今日みたいなことは日常茶飯事なの。
そういう世界だと分かった上で、 自分で選んだ場所だからいいのよ」
「でも……」
「それに、 どうせやり込めるなら、 正々堂々と舞台の上で決着をつけたいの」
卑怯な相手だからこそ、 正攻法で戦って勝利を得たい。
彼女のなりの締め上げ方は、 性質の悪いヤンキー相手に奮闘するリーダーには、 素直に共感できるものだった。

への字に曲がったトオルの口が元に戻ったのを見計らって、 シェリーが所属事務所の名刺を差し出した。
「ねえ、 トオルとエリック?
よかったら、 来月開催されるファッション・ショーに同行してくれないかしら?」
トオルとエリックは、 二人して顔を見合わせた。
やるか、 やらないかで聞かれれば答えは当然 「イエス」 だが、 これはいわゆる 「引き抜き」 ではないか。
素人の大道具を引き抜くなど聞いた事がない上に、 話が旨すぎる。
何か裏があるのではないかと身構える二人を見て、 シェリーが慌てて補足した。
「誤解しないで。 私は一緒に仕事をするなら、 心から信頼できるスタッフとしたいだけなのよ。
アナタ達がいてくれるとスタッフの間にも活気が出るし、 すごく仕事がやりやすいのだけど……」
説得を続ける彼女の様子から、これが本心から出た提案だという事は分かった。
「今の事務所には、 失礼のないよう私から話をしておくわ。
なんだったら掛け持ちでも構わないし」
「事務所に迷惑をかけないなら、 僕はオーケーだよ」
これでエリックの心配は完全に払拭された。
「アルバイト料は今の二倍出すわ。 トオルはどうかしら?」
「是非とも、 やらせてくださいッ!」
給料二倍の誘惑に、 トオルも迷わず食いついた。

渡米した時はそれぞれ違う方向を指していた運命のベクトルが、 同じ出口へと向かい出した。
プレイしたくても場所がなく、 帰りたくても金はなく、 夢を掴む力もなければ、 仲間と呼べる人間は一人もいなかった。
それが今は仲間を介して仕事を得て、 その仕事を通して新しい出会いへと繋がり、
出会いが真っすぐ夢へと導いてくれている。
いつの日か光陵へ帰る ―― この 「いつの日か」 が、 すぐそこまで迫っていた。




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