第 28 話 誕生・最強最悪コンビ

試合イメージ



方向音痴の太一朗の遅刻により、 急遽ダブルスの出場を
命ぜられたトオルは、 まず控え室で待機する弟の陽一朗の
もとへと急いだ。
正直なところ、 突然の大抜擢に頭の中の整理がつかず、
何から準備すれば良いのか考える余裕もない。
どうにか脚だけはまともに機能しているものの、
思考は現実から大幅に遅れを取っており、 気がかりな問題が
ランダムに浮かんでは消えていく、いわゆる混乱の症状を
訴えていた。
幸いにも、 今回シングルスに出場する唐沢からウォーミング・アップの相手を頼まれていた為に、
ラケットとシューズは持参してきた物がある。
試合用のユニフォームもマネージャーが予備を用意してくれている。
「あと足りない物は……えっと……」
考えれば考えるほど不安になるが、 陽一朗の置かれた立場を思えば、
形だけでもどっしりと構えていなければならない。
兄の失態が引き起こしたハプニングで動揺しているであろう先輩の為に。
トオルが我が身の心配をさておき控え室へ向かったのも、 パートナー不在の異常事態から
一刻も早く彼を解放してやろうとの配慮からだった。

ところが中へ入ってみると、 当の本人は自慢の金髪をどう束ねようかと思案中で、
息を切らして飛び込んできたトオルに対しても、 ヘア・ワックスをつけながら鏡越しに話しかけるという、
普段通りの横着振りまで見せている。
「やっぱスプレータイプにして正解! 固形ワックスだと、どうしてもベタつくんだよね。
うん、 これ絶対オススメ! トオルも使う?」
「いえ、 オレは……」
「ああ、 そういや、 太一の代わり。 オマエが選ばれたんだって?
ヨロシクな!」
「はい……こ、 こちらこそ……」
「あれ、 どうした? 元気ないな。 心配事でもあるのか?」
「いえ、 何でもないッスよ」
トオルは即座に否定した。
司令塔役の太一朗は冷静沈着で、 どんな時でも周りの状況を的確に捉えて行動する。
特に気分によって戦績が変わる弟の扱いには細心の注意を払っており、
試合前は自身の感情を押し殺してでも、 彼の 「ノリ」 を優先させている。
現時点で陽一朗に動揺が見られないのなら、 これ以上余計なことを言う必要はない。
いきなり大役を命ぜられて緊張している事も、 さぞや先輩が不安だろうと急いで走ってきた事も。
この時、 いまだ混乱した状態にありながら、 トオルの気持ちの中には自覚のようなものが芽生えていた。

「オレ、 先にアップ入りますね」
いつもはペアを組んでウォーミングアップするところを、 トオルはあえて一人で壁打ちボードに向かった。
せめて緊張だけでも自分で解しておかないと、 「何でも正直に話せ」 と言ってくれる懐深い唐沢と違って、
陽一朗に負担をかけるわけには行かない。
今日は トオルがパートナーをリードする立場にあるのだから。
しかし何の感情も持たない壁打ちボードは、 無情にもありのままの現実を突きつけてきた。
正確に打っているつもりなのに、 ボールがいう事を聞いてくれないのである。
送り主の緊張を含んだボールは不安定な状態で壁に激突した後、 さらに不安定さを増して戻って来る為に、
まったく予期せぬ方向へバウンドし、 それを無理やり軌道修正しようとするものだから、
必然的に無駄な力の入った暴走球と化す。
俗に 「バカ打ち」 と呼ばれる打ち方が招く悪循環である。
これではフォーム確認も何もあったものではない。

「くそっ、 なんで!」
思い通りにならない苛立ちを持て余し、 再びトオルが力任せに強打した時である。
「ボールに八つ当たりするなんて、 オマエらしくねえなぁ」
振り返ると、 そこには副部長の千葉が仰々しく眉を寄せて立っていた。
「ケンタ先輩……」
「陽一が 『様子が変だ』 って言うから気になって来てみたら、 まさかオマエが 『バカ打ち』 しているとはな。
そういうのは、 中坊のガキが試合で負けた後にするモンだろうが。
どうした、 緊張してんのか?」
「あの……は、 はい。 実は、 そうみたいです。
自分でも情けないと思うんですけど……」
気心知れた先輩の前で、 トオルは素直に白状した。
控え室から押さえつけていた感情も全て。
「オレ、 ずっと唐沢先輩にリードしてもらっていたし、
逆の立場になって初めてパートナーに甘えていた自分に気付いたんです。
そうしたら急に色んな事が見えてきて、 この間ハルキに 『甘い』 って指摘された事とか。
陽一先輩にも頼りにされていないみたいだし、 でもそれは仕方のない事で、
こんなオレに太一先輩の代役が務まるのかって考えたら、 焦ったのかな? 緊張してんのにイライラして……
もっと、 どっしりと構えていなくちゃいけないのに」
「確かに、 いきなり太一の代役はキツイよな。
だけどさ、 四月からずっとオマエの事を面倒見てきた部長が決めた事なんだろ?
何か考えがあるんじゃないのか?」
「だから余計に不安なんです。
先輩にお守りされているような人間が、 太一先輩の代わりだなんて無理に決まっているじゃないッスか。
ハルキだっているのに、 なんでオレなんだろうって」

本音を話していくうちに、 トオルはこの並々ならぬ緊張の原因が、 自信の無さから来るものであると悟った。
練習であろうが、 試合であろうが、 コートに立てるチャンスがあるのなら、
どんな厳しい条件でも喜んで受け入れてきた。
手足が冷たくなるほど緊張した地区予選でも、 ここまでの感情は起きなかった。
だが今は、 明らかに自分はコートに立つことを拒んでいる。 怖いと思っている。
ゲームメークの達人の太一朗の代役。 このプレッシャーは想像以上に大きなものだった。
リードしてくれる先輩がいない不安もある
また上手く勝ち進んだとしても、 三回戦で当たる藤ノ森学院には、 こちら側の情報が筒抜けで、
その悪条件の中、 初めて組む陽一朗と勝ち抜かなければならない。
恐らくシングルスなら怖いとまでは思わなかっただろうが、 運命を共に背負うパートナーの存在が、
初めて尽くしの緊張の上に、 更なる重責となって圧し掛かっていたのだ。

滅多に弱音を吐かない後輩の胸の内を聞き終えた千葉が、 不自然にしかめた形相を解き、
彼らしい真っ直ぐな眼差しを、 前でうなだれるトオルへ差し向けた。
「俺はダブルスに関しては上手くアドバイスできないけど、
もしもオマエの不安が力不足から来るものだったら、 それだけは違うと断言できるぜ」
「でも、 オレはハルキと違って一人じゃ試合にも出させてもらえないし」
「ひょっとして、 前に部長から 『使い物にならない』 と言われたこと、 ずっと気にしているのか?」
「気にしているって言うか、 事実ですから。
わざわざ唐沢先輩がダブルスに転向したのだって、 オレのせいじゃないですか」
「あのなぁ……オマエ、 基本的に間違っているぞ」
初めトオルは、 千葉からの指摘をどう解釈していいのか分からなかった。
「基本的に」 とは、 何処からどう間違っているのか。
その基本が四月まで遡ろうとは、 夢にも思わなかった。

「いいか、 トオル?
これは三年生と副部長にしか知らされていない事だけど、 俺の独断で話すから、 よく聞けよ。
唐沢部長がダブルスに転向した本当の理由は、 オマエが成田先輩を超える才能があると信じたからだ。
決してシングルスで使い物にならないとか、 ハルキと比べて弱いとか、 否定的な理由じゃない」
「ケンタ先輩、いくら何でも、 そんな見え透いた嘘は……」
「俺がテニスに関して、 オマエに嘘を吐いた事があるか?」
確かにイタズラ目的で騙された事は何度もあるが、 テニスに関して嘘を吐かれた事は一度もない。
自分に向けられた視線からも、 その事は容易に判断できた。
「四月の時点で、 部長の腹は決まっていたと思う。
ほら、 オマエがアメリカから帰ってきた時。 ストライキがどうとかで成田先輩と揉めて、
帰国直後だってのにハルキと試合した事があっただろ?
あん時、 俺は唐沢部長と一緒に見ていたんだ。
正直、 驚いた。 オマエ等の試合も凄かったけど、 隣にいた部長も凄くてさ。
成田先輩との試合以外で、 あの人があんな顔するとこ初めて見たよ。
恨みでもあんのかってぐらい怖ええ顔してコートの中睨み付けてさ、 でもスッゲエ嬉しそうで、
ずっとオマエのプレーに見入っていた。
これがどういう意味が分かるか?」
帰国直後、 レギュラーの座を賭けてハルキと戦ったあの試合。
今でも細部に至るまでその内容を覚えているが、 そんな風に見られていたとは知らなかった。
「本来オマエの実力なら、 シングルスのレギュラーとしてハルキと交代で出場させてもいいぐらいだ。
だけど成田先輩が抜けると分かっていたから、 止む無く唐沢先輩がダブルスに転向した。
トオルを成田先輩と同じトップレベルのプレイヤーに育てる為に。
あえて 『一人じゃ使い物にならない』 と理由付けをしたのも、 ナンバー3の現状に満足させないよう考えての事だ。
オマエは、 とっくに合格点をもらっているんだよ」

「オレを成田先輩のレベルまで育てる為に? それで唐沢先輩がダブルスに?」
俄かには信じがたい話だった。
千葉が嘘を吐いているとは思わないが、 今迄そんな気配も感じなかっただけに、 喜びよりも驚きの方が強かった。
「信用するしないは勝手だが、 少なくとも部長は信じている。
他の三年の先輩達も、 コーチも、それから俺もだ。
トオルなら成田先輩の代わりになれると信じてる。
だから、 太一の代役ぐらいでビビッてもらっちゃ困るんだよ」
千葉の発する一言ひと言が、 驚きを確信めいたものへと導いていく。
成田ほどのプレイヤーになれるかどうかは別として、唐沢や他の先輩達が自分を認めてくれていたのは事実である。
そしてダブルスの要が成立しないこの状況で、 代役を務められる者はただ一人。
唐沢から直接教えを受けたトオルだけである。
「腹くくるしかないって事ですね?」
「そういうこと。 要するに、 自分の実力信じて戦うしかないだろ?
シングルスでもダブルスでも、 練習でも試合でも、 コート入ってボール追いかけるのに変わりねえって。
何も野球やサッカーで結果出せって、 言ってんじゃない。 オマエの好きなテニスだろ?
「ハハ……ケンタ先輩。 何か、 力抜けました」
「なんだよ、 力湧いたんじゃねえのか?」
「いや、 いい感じに抜けました。
たぶん結果を意識し過ぎて、 力み過ぎていたのかも」
「そっか。 じゃあ任せたぜ。
悪いな、 トオル。 こんな形でしかバックアップできなくて」
「もう充分、 ケンタ先輩には支えられていますから」
千葉のバックアップが今だけではない事を、 トオル自身よく分かっている。
落ち込んだ時や、不安を感じた時には、 いち早く駆けつけてくれる兄貴のような存在。
昔からそうだった。
レギュラーになりたくて、 夢中になってボールを追いかけていた中等部の頃から、ずっと。
さり気なく去っていく先輩の後姿は、 トオルに懐かしい記憶を思い起こさせた。
「ボールを追いかけるのに、 緊張する事ないッスよね」

シングルスでもダブルスでも、 ボールを追いかけるのに変わりはない。
千葉の言葉が支えとなったのは、 第一試合が始まるまでの、 ほんの十五分間だけだった。
開始早々トオルは、 一人でプレーするシングルスと二人でプレーしなければならないダブルスでは、
大きく違うと思い知らされた。
パートナーの陽一朗が、 前衛のポジションをネット中央に詰めて取っているのだ。
通常前衛は脇をストレートで抜かれないよう、 センターとサイドラインの中間地点に陣取るのが一般的で、
唐沢からもそう教わった。
ところが陽一朗は初っ端からセンター寄りに構えている。
相手の返球がクロスであろうと、 ストレートであろうと、 自分が叩き返すつもりだなのだ。
彼にとっては当たり前のポジションなのだろうが、 サーブのコースを幅広く打ち分ける技術を持ち、
後ろから攻撃を仕掛けようとするトオルにとって、 あの位置取りは非常に打ちにくい。
よほど気をつけてコースを選択しなければ、 サーブが味方に直撃する危険もある。
そもそも後衛がチャンスを作り、 前衛がそのチャンスを活かして点を取るという、
基本中の基本は何処へいったのか。
やり辛いのは、 それだけではなかった。
試合前に決めたサインも、 てっきりトオルが指示するものと思い込んでいたが、
陽一朗は前方から後ろ手に送ってくる。
しかもゲームの途中で、 自分で送ってきたサインと全く別の攻撃を仕掛けて、
結果オーライとばかりに平然としているのだ。
動きが激しい前衛をフォローするだけでも手一杯だというのに、 作戦を無視した行動まで取られれば、
ダブルスの鍵を握るコンビネーションなど簡単に崩れてしまう。
最悪な事に、 こんな冷や汗もののプレーを続けるわりには得点に繋がらず、次第にトオル達は追い込まれていった。

「陽一先輩、 何でそこでポーチに出るんですか!?
自分で出したサインぐらい覚えておいてくださいよ!」
じりじりと点差の開く焦りもあって、 ついにトオルは試合途中でパートナーに対しクレームをつけてしまった。
「何、言ってんだよ。 今の流れなら攻撃パターンが変わる事ぐらい読めよな。
このペアでポイント取るには、 俺ッチが決めるしかないんだからさ」
「じゃあサインの意味ないじゃないッスか!」
「サインどおり運べば、 誰も苦労しないっつうの!
部長からイレギュラー対応って、 教わらなかった?」
「陽一先輩は、 イレギュラーばっかじゃないですか!
こんなメチャメチャな動きされたら、 フォローし切れないッスよ」
「うるさいなぁ、 もう……太一は文句なんて言った事なかったぞ」
「どうせ、 オレは太一先輩じゃありませんから」
「俺ッチだって、 部長じゃないモンね!」

共にダブルスにおける立場も同じ、 負けず嫌いの性格も同じという似た者同士の急造コンビは、
互いに引く事を知らず、 審判に注意されるまで散々揉め続けた挙句、
相手ペアの息の合った攻撃に脆くも粉砕され、 苦い敗北を持ち帰る結果となった。
三年レギュラーの慎悟と唐沢の活躍でチーム自体の敗北は逃れたものの、
二回戦でもコンビネーションの悪さは改善されず、当人達の意気込みとは裏腹に、
連戦連敗の不名誉な記録をひたすら更新し続けていた。
次はいよいよ藤ノ森学院との対戦である。
本来なら今までの試合を省みて、 次に生かすべく打ち合わせに入らなければならない時間であるが、
トオルは控え室のある棟から少し離れた外のベンチで、 一人膝を抱えて座り込んでいた。
他校の試合を偵察するでもなく、 ウォーミングアップを開始するでもなく、
無論、陽一朗の待つ控え室へ向かう気などサラサラない。
どうせ行ったとしても、 今朝のように鏡越しにあしらわれるに決まっている。
これまで意識した事はなかったが、 パートナーが変わると、 こうもやり辛いものだろうか。
さすがに試合前のような緊張はないが、 代わりに特大級の不安が押し寄せている。
しかも漠然としたものではなく、 もっと現実的で否定的要素満載の、 このペアの欠点ともいうべき深刻な問題が。
そもそもトオルも陽一朗も、 自分でゲームを組み立てた事がない。
全てパートナーが司令塔となって、 その役割をこなしてきた。
性格的にも静と動で分ければ、 両者とも激しいほどの「動」に分類される。
その二人がコンビを組めば、 衝突するのは目に見えている。
似たもの同士。 磁石で言えば、 S極とS極が反発し合うのと同じ現象が起きているのだ。
ここは、 どちらかがN極にならないといけない。
そう思って太一朗の代わりにサインを出せば、 向こうも同じ発想をするらしく、 反対にサインを送り返してくる。
更に二人の試合経験の差も、 コンビネーションに支障をきたしている。
陽一朗には暗黙の了解と思える事でも、 トオルには指示がないと対応できない場面が少なからずあったのだ。

「ああ、 もう最悪だ……」
八方ふさがりの難局に一度は頭を抱えたトオルだが、 今最も相談に乗って欲しいと願う人物の声が
聞こえたような気がして顔を上げると、 やはり唐沢が立っていた。
「うん、 確かに新人の教材に使いたくなるような試合だった。
『コンビネーションの重要性』 ってタイトルで解説つければ、 立派なマニュアルになりそうだ」
「唐沢先輩……なんで?」
「ああ、 それ、 俺の台詞。 どうしてオマエがこんな所にいる?
打ち合わせの時間だろ?」
恐らく先程の千葉と同様、 後輩の身を案じ探し回ってくれたのだろう。
先輩達の気遣いが嬉しいような、 恥ずかしいような。
合わせる顔がないと言うべきか。
トオルを信じて大役を与えてくれた先輩に対し、 期待に応えるどころか、 恥をかかせる結果となったのだ。
合わせる顔もなければ、 返す言葉も見つからない。

膝を抱えたままグッと唇をかみ締めるトオルの、 丸くうなだれた頭を軽く小突くと、
唐沢は当たり前のように隣に座った。
「まったく、 オマエ達は本当に似た者同士だな。
控え室でも、 陽一が同じポーズでいじけてた」
「べ、 別に、 いじけてなんて……」
反論しながらも、 トオルは先輩が座れるだけの席を空けた。
やはりこの組み合わせが一番自然で落ち着くと、 改めて実感する。
一人前が云々と息巻いておいて女々しい気もするが、 人それぞれ相性があると思う。
S極はN極がいて、 初めて実力を発揮するものなのだ。
するとトオルの気持ちを知ってか知らずか、 偶然にも唐沢が相性の話をし始めた。
「俺は占いの類に興味はないけど、 滝澤が言うには射手座同士の組み合わせは、
最悪になるか最強になるか、 どっちかなんだってさ。
オマエ達二人とも、 射手座なんだって?」
「ええ、 まあ……」
トオルは曖昧な返事しか出来なかった。
超がつくほど現実主義の先輩が占いを信用するとは思えない。
では、 なぜ唐沢はこんな話をしてくるのだろうか。
「……で、 試合前の予言では、 最悪になると出た。
アイツの占い、 侮れないよな」
「どうせ、 オレなんか……どう頑張っても、 太一先輩みたいになれないッスから」
「ああ、 控え室で陽一も同じこと言っていた。
『唐沢部長になれない』 って愚痴っていたから、 『当たり前だ』 と怒鳴りつけてやった。
オマエも、 そうして欲しいのか?」
「当たり前って……まあ、 そうなんですけど……」

唐沢の言わんとしている事が、 徐々にトオルにも分かりかけてきた。
似た者同士がコンビを組めば、 最悪になる場合もあるが、 最強に転ずるケースもある。
無理して太一朗や唐沢の代わりを務めなくても、 自分達のやり方で勝つ方法があるのではないか。
先輩は、 それを教えに来たに違いない。
「でも、 オレ実は……」
解決の糸口を手にしても尚、 トオルはまだ立ち上がる気にはなれなかった。
次の相手は、 あの藤ノ森学院である。
対戦表にはエース格の倉持という男が記されていたが、 部長の新田から情報が流れているのは言うまでもない。
自分より自分のことを熟知した相手と戦う事を考えると、 さすがに気後れしてしまう。
言いかけて口ごもるトオルの様子から、 気持ちを察したらしく、 唐沢が隣から代弁してみせた。
「コートに立つのが怖い……か?」
自分でも情けないと思いながら、 素直に頷くしかなかった。
きっと陽一朗と同じように怒鳴りつけられる。
怯んだ瞬間、 思わぬ返事が戻ってきた。
「俺だって怖いよ」

一瞬トオルは、 聞き間違いではないかと耳を疑った。
向かうところ敵なしの唐沢が、 コートに立つのが怖いなどと思うはずがない。
「楽しい」と言うならともかく、 彼の強気な態度からは、 一欠けらの恐怖も見えてこない。
困惑を隠しもせずに凝視するトオルの頭を、 唐沢がもう一度軽く小突き、
その後なだめるような手つきで二度三度と撫でてから語り始めた。
まるでペットにでもなったような気分だった。
人には語れない飼い主の本音を、 頭を撫でられながら聞き入る犬の構図が浮かんでくる。
たぶん、 こんな風に感じたのは彼の口調にあると思った。
何故ならそれは、本音を語るにしてはあまりにも穏やか過ぎたから。

「昔は負ける気がしないなんて思った事もあったけど、 今は怖くなる方が多いかな。
逆に、 そうでなければいけないと思うようになった」
「唐沢先輩でも、 怖くなる事ってあるんですか?」
「そりゃあるさ。 特に今回は久しぶりのS1だからな。
ずっとシンゴに任せていたけど、 大将格のS1はさすがに緊張する。
正直、 俺に回る前に決着ついてくれって、 思う時もある」
「そ、 そうなんですか?」
ゆったりと語られる先輩の本音は、 意外にもトオルが心に秘めたものと変わらなかった。
これはプレイヤーなら誰しも抱える感情なのだろうか。
抱えても良いものなのだろうか。
マイナスにしか作用しないと思っていたが、 唐沢は必要なものとして受け入れているようだった。
話し始めた時と同じ口調で、 彼が続けた。
「最初の二戦で勝てれば、 チームとしても理想的なパターンだし、 個人的にも願ってもない事だ。
本当のことを言うと、 藤ノ森相手に自分の力が通用するか、 不安で仕方がない。
大げさだけど、 死刑囚にでもなった気分だ。
この試合が最後になるのかなって、 心の底では弱音ばかり吐いている。
だけど……俺がここで負ける訳にはいかないだろ?」
「そうですよね。 イン・ハイかかってるし、 部長の立場って、 オレなんかより大変ですよね」
「タ〜コ! そんなご立派な建前は、 この際どうでもいい」
「どうでもいいって?」
「絶対に、 誰にも言うなよ?」
突然、 唐沢が辺りを警戒し、 穏やかだった口調も一転して早口になった。
その潜めた声のトーンからして、 トオルは何か重大な話を聞かされると思っていたのだが――

「いいか? 俺が負けたくない本当の理由は、 もう一度オマエとダブルスを組みたいからだ」
「そ、 そんな理由ですか?」
「そんな理由って、 何だ? 俺は本気でそう思っている。
オマエとのダブルスは予想外の展開ばかりで、 成田と組んだ時とは別の面白さがあるからな」
ふざけているようには見えないが、 意味ありげに微笑む表情から、 本心だと断定できる要素もまた見られない。
「トオルは、 俺とのペアどう思う?」
「そりゃ出来ることなら、 今すぐにでも組みたいぐらい楽しいです」
「地区予選、 面白かったよな?」
「はい、 メチャメチャ面白かったです」
「もう一度、 あんな試合したいと思わないか?」
「もちろん! 先輩と一緒なら、 何回でも試合してみたいです」
「だったら、 やることは一つだろ?
もう一度、 俺とペアを組むには、 どうすればいいか分かるよな?」
シングルスに出場予定の唐沢と再びダブルスを組む為に、 今やらなければならない事は一つだけ。
「藤ノ森学院との勝負に勝つ?
勝てば、 また試合のチャンスがありますよね?」
「そういうこと」
「オレ、 この先も、 もっともっと唐沢先輩と一緒に戦いたい。
先輩だけじゃなくて、 今回出られなかったハルキとも。 アイツと一緒に戦いたいです。
『甘い』 って言われるかもしれないけど、 オレにとってハルキはライバル以上に仲間だから」
「エンジンかかったか?」
「はい。 今度こそ勝ってシングルスに回しますから、 見ていてくださいね!」

控え室に入るなり、 トオルはホワイトボードに向かう陽一朗の肩を掴み、 強引に自分の方へ振り返らせた。
「陽一先輩、 オレは太一先輩になるの止めました!」
「オマエ、 まだ言うか?」
「そうじゃなくて、 オレは太一先輩みたいにゲームメークの達人でもないし、
陽一先輩のこと上手くフォローできないと思います。
だけど、 オレだから……いえ、 オレ達だから作れるゲームプランもあると思うんです」
「あのさぁ、 それ俺ッチが先に言おうと思っていたんだけど?」
不機嫌そうに金髪を掻きむしっているが、 陽一朗がすでに何か企んでいる事は、
黒くなったホワイトボードで察しがついた。
恐らくコート上を動き回る二人のポジショニングを探っていたのだろう。
四角いコート上に、 何本ものラインが引かれている。
「オレ、 陽一先輩のこと信じて付いていきますから、 何でも指示してください!」
100%の信頼を表すトオルに、 陽一朗が口を尖らせた。
「バ〜カ! オマエも一緒に考えるんだよッ!
俺ッチだって、 唐沢部長みたいに頭良くないんだから、 二人で考えんの!
このコンビだから出来る最強フォーメーションがあるはずだろ?」
ヤンチャ臭い笑みを見せる陽一朗と。
「了解ッス!」
同じ笑みを返すトオルと。
光陵テニス部始まって以来の最悪コンビが、 最強コンビに転じた瞬間だった。




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