第 8 話 試練

テニス部イメージ



「まさか、 あの二人が破られるなんて……」
試合終了と同時に、 声にならない驚きが溜め息と化し、
コートを囲む部員達の間に広がった。
あの二人とは、 滝澤・荒木ペアの事である。
かつて伊東兄弟と並んで光陵テニス部のダブルスを支えた
二人が、 練習試合で組んだばかりのトオル・唐沢ペアに、
僅差とは言え負けたのだ。
「やるじゃねエか、 トオル!
オマエ、 本当にダブルスの経験ないのか?」
試合直後、 千葉が トオルのもとへ駆け寄ってきた。
後輩の快挙に喜びを隠せないといった様子である。
「いや、 まだまだッスよ。 唐沢先輩にかなり助けてもらったし」
「へえ、 オマエでも謙遜する事あるんだな」
「からかわないでくださいよ、 ケンタ先輩。
これでも必死なんですから」
謙遜などではなく、 トオルの本心だった。
パートナーの唐沢に迷惑をかけられない。
先輩の足を引っ張らないようにと、 それだけを考えてボールを追いかけた。
守備範囲を限界まで広げ、 際どいコースは全て自分が処理するつもりで走り回り、
文字通り 「必死になって」 プレーした結果、 気がつけば向こうが負けていた。
この実感のない成果に一番驚いているのは、 他ならぬトオル自身である。

敗北した滝澤も、 予想を上回る後輩の成長振りに目を細めた。
「海斗の読み通りね。
今のペースなら、 地区予選でも充分通用するんじゃないかしら?」
「ああ、 地区予選まではな」
誰もが笑顔で新生ペアの勝利を称える中、 唐沢の表情だけは険しかった。
「ずいぶん機嫌が悪いわね。
あれだけの試合内容でまだ不満?」
「あれだけの内容だからこそ、 不満なんだ」
「どういうこと?」
「肝心な事を分からせる前に、 ゲームセットだ。 まったく……」
唐沢は長い前髪に 「ふうっ」 と息を吹きかけると、 厳しい表情を崩さずに腕組みをした。
彼が真剣に考え事をする時に取る独自のポーズである。
よほど込み入った状況でしか見せない姿だけに、 傍にいた滝澤もこれ以上の発言は控え、
黙って成り行きを見守った。
吹き上げられた前髪がふわりと空を舞う。
癖のない素直な髪質だが、 その長さと細さのせいか、 全部降りて来るまでには多少の時間を要する。
一本、 また一本。 ぱらぱらと順に居場所を求め、 ようやくいつもの瞳を覆うかどうかの不安定な位置で落ち着いた。
通常ならこのタイミングで次の指示が出るはずなのに、 今回は少し間が空いたようだ。
不振に思った滝澤が、 意思決定したであろう表情を覗き込もうとした途端、 重苦しい溜め息が一つ。
続いて、 その理由を裏付ける内容の指示が下された。
「滝澤、 悪いが伊東兄弟を呼んできてくれないか?
それから真嶋には、 三十分後にもう一試合するから準備しておけと」

次の対戦相手が部内最強の伊東ペアだと教えられ、 タフなトオルも思わず絶句した。
つい今しがた激戦を終えたばかりの体でナンバー1との対戦となると、 さすがに体力的な面で心配になってくる。
試合内容の濃さから言っても、 地区大会の決勝戦に匹敵する厳しさである。
しかし、 今のトオルには目の前に出された課題を一つ一つクリアするしか選択肢はない。
不安そうに見つめる滝澤に 「わかりました」 と返事をすると、 コート脇にある屋根付きの休憩所まで行き、
そこのベンチを使ってストレッチを開始した。
これだけ激しい運動を続ければ、 ケガ、 故障の原因にもなり兼ねない。
唐沢から与えられた三十分は、 小まめなストレッチを行い、 筋肉のメンテナンスをする為の時間である。
ベンチに腰を下ろし、 痛みがないか確認しながら、 ゆっくりと体の各部を伸ばす。
特に散々走り回らされた両脚は、 念入りに解しておかなければならない。
この作業の傍らで、 トオルはもう一つの課題も終わらせようとした。
先日渡されたダブルスの解説書を読破することである。
十六冊あるうち、 いま読んでいるのが最後の一冊だ。
期限は一週間以内だったのを、 三日で終わらせた。
できるだけ早く課題を片付けて、 唐沢のお守りが要らないくらい強くなる。
自分のせいで迷惑をかけているチームメイトのためにも、 早く強く ―― こういう思いがあるのは確かだが、
それだけではない。
「今は部活に集中したい」
奈緒に吐 (つ) いた嘘を真実にする為に、 トオルは全てのエネルギーをテニスへ注ぎ込もうと躍起になっていた。
彼女と話がしたいと思う度に本を開き、 会いたいと思う度にラケットを握った。
もう何処にも彼女が入るスペースを作らないように。

「熱心なのもいいけどよ、 最初から突っ走ると息切れするぞ」
「ケンタ先輩……」
ストレッチしながら読書という器用な休憩時間を過ごす後輩の額に、
千葉が冷たいコーラのペットボトルを押し付けた。
「ちょっと邪魔していいか?」
都合を聞きながらも、 千葉は返事を待たずして隣に座ってくる。
この程度の図々しさは、 二人の間では許容範囲といったところか。
ついでのように、 好みの飲み物に付き合わされる事も。
はっきり言って、 トオルは炭酸飲料が好きではない。
喉元ではじける、 あのパチパチとした感触が苦手で避けているのだが、
二本分のボトルを見せられれば受け取るしかないようだ。
申し訳程度に軽い会釈をすると、 トオルはちびちびと飲み進めた。
案の定、 炭酸特有の刺激が喉を詰まらせる。
遠慮がちに咳き込む後輩の隣で、 千葉はボトルごと一気に飲み干した。
「ブハ〜ッ! うめエ! 汗をかいた後のコーラは最高だよな」
「ええ、 まあ……」
「特に、 飲んだ後のこの瞬間が堪らねえよ」
そう言って、 彼は立て続けに三回ゲップを出してみせた。
「いいよな、 コーラの美味い季節……って言っても、 俺は夏でも冬でも年中飲んでいるけどさ」
「あの、 ケンタ先輩?
オレに何か用事があったんじゃないですか?」

「邪魔していいか」 と声をかけてきた割りには、 なかなか本題を切り出そうとしない先輩に、
トオルは訝しげな目を向けた。
「なんだよ、 邪魔だって言いたいのか?
最初にちゃんと断っただろ? 『邪魔していいか』 って?」
「いえ、 別にそんなことないッスよ。 ただ……」
「『ただ』 なんだ?」
「ケンタ先輩らしくないっていうか。
いつも用件から先に話してくるから」
「タ〜コ! 『らしくない』 のは、 オマエの方だ。
ぜんぜん余裕ねエって顔してるぜ」
「そりゃ、 必死ですから……」
「だから、 『らしくない』 と言ってるんだ。
今までのオマエなら、 もっと楽そうにプレーしていた。
どんなに練習がきつくても、 テニスが好きで楽しくて仕方ないって顔していた。
だけど今は違う。
さっきだって、 試合に勝っても笑いもしない。
ムカつくほど平然としていただろ?」
確かに千葉の言う通りである。
今のトオルにテニスを楽しむ余裕はない。
ただ強くなる事しか考えず、 それ以外の感情は邪魔になるとさえ思っている。

「何があった、 トオル?」
この先輩に隠し事をしても無駄である。
トオルは読みかけた本を閉じて、 ベンチに座り直した。
「ナッチのことか?」
素直に質問に頷くと、 安心して心を開ける先輩の前で、
トオルは思いつく順にこれまでの経緯を打ち明けた。
「向こうで酷い生活していたんです、 オレ。
警察に沙汰にならなかっただけで、 何人もの人を傷つけているし、
血のついたコートでプレーしても平気でした。
最初は驚いたけど、 三年もいると段々当たり前になってきて」
平穏無事な日々に戻った今だからこそ、 アメリカでの生活がいかに荒んだものだったか、 よく分かる。
当時は麻痺していた倫理観が、 穏やかな日常の中で目を覚まし、 過去の所業を炙り出していく。
「危険区域のストリートコートで、 リーダーやっていました。
コートの奪い合いは日常茶飯事で、 ケンカの合間に練習するような毎日で。
だけど、 体育倉庫にいたアイツは、 ちっとも変わらなくて。
笑う顔も、 話し方も、 全部……昔オレがあげたプレゼントも、 まだ大事に持っていて。
たったの450円だったのに」
「俺から言わせりゃ、 オマエだって変わっていない。
それに向こうで酷い生活をしていたとしても、 過去の話だろ?」
「いくら過去でも、 事実は事実です。
どんなに環境を変えても、 事実は変わらないって気がついたんです。
彼女に告白するつもりで帰国したんですけど、 やっぱりオレ……
一緒にいても迷惑かけるだろうし、 傷つけるかもしれないし。
いえ、 たぶん傷つける。 きっと……」
これがトオルの正直な気持ちだった。
宮越の発言は単なるキッカケになったに過ぎず、 本当は奈緒と話をしている時から、 少しずつ感じていた事だ。
彼女は変わらずにいてくれたのに、 自分はすっかり変わってしまった。
それも成長ではなく、 ひどく汚れて。
トオルには、 どうしてもこの負い目を拭ぐい去る事が出来なかった。

「アホか、 オマエは!」
千葉が空になったペットボトルで、 トオルの頭を二回に渡り殴りつけた。
オモチャのような軽さではあるが、 角に当たればそれなりに痛い。
だがペットボトルよりも、 言葉の方に痛みを感じた。
「トオル、 ナッチがどれだけ待っていたか、 知ってんのか?
この三年間ずっと、 毎日のようにテニス部のフェンスの外からオマエのこと探してた。
いないと分かっているくせに、 十二面のコートを全部確認してからじゃないと離れなかった。
朝も、 帰りも。 雨の日なんか、 部室まで来てこっそり覗いてさ。
三年だぞ、 三年!
帰るかどうか分からない野郎を、 こんな風に待っていてくれる女なんて、 今時いねえだろ?」
「だから、 余計に言えなかったんです。
オレには他に付き合っていた奴がいたから」
清算したはずのモニカとの恋。
奈緒が一度も誰とも付き合わずにいた事実が、 トオルに過去の恋愛まで後悔させた。
「そうなのか?」
「はい、 一度だけ……」
過ちとは言い切れなかった。
あの時は、 本気でモニカと生きて行こうと決心した。
本気だったから、 奈緒からもらったリストバンドを外したのだ。
錯乱状態の中で、 自分を裏切り、 奈緒を裏切り、 結果的にモニカまで裏切ってしまった。
ただの過ちと言い切るには、 あまりに罪深く、 過去と割り切るには、 生々しい爪痕がまだ心の中に残っている。
錯乱する原因となった悲しい爪痕が。
「屁理屈かもしれないけどさ、 それぐらい許してくれるんじゃないのか?
ナッチと付き合っていたわけでも、 約束したわけでもないんだし、 浮気とは言えないだろ?
もっと自分の気持ちに正直になってもいいんじゃないか?」
千葉が懸命に説き伏せようとしてくるが、 トオルが奈緒を避ける理由は他にもある。
「ペアを組んでいる唐沢先輩の為にも、 迷惑かけている皆の為にも、 今は強くなる事だけ考えたいんです。
こんな状態で誰かと付き合ったとしても、 どっちも中途半端になるだけだし」
「本当にそれでいいのか?」
「オレ約束したんです。 唐沢先輩とイン・ハイ行くって。
だから……」

「やれやれ。 昔っからオマエは、 言い出したら聞かないからな」
半ば呆れ顔で前置きしてから、 千葉は急に口調を変えた。
「気持ちは分かった。 もう何も言わない。
だけど、 これだけは約束してくれ。
何かあったら、 真っ先に俺に相談すること。 絶対に一人で抱え込むなよ?」
「ありがとうございます、 ケンタ先輩」
親身になって考えてくれる先輩をどうにか安心させたくて、 トオルは無理に笑顔を作って見せた。
上手く出来なかったかもしれないが、 気持ちは伝わったらしく、 千葉も合わせるように冗談を飛ばしてきた。
「一応これでも副部長だからな。
任せておけって!」
「アハハ……そうでしたね」
「今のところ雑用兼、 苦情係だけど、 一人よりは頼りになるだろ?」
「はい。 何だか気が楽になりました。
じゃあ、 オレそろそろ行きますね。 コーラご馳走様でした」
トオルが試合に向かおうとすると、 背中から千葉の怒鳴り声がした。
「俺はどこまでもオマエの味方だからな! 忘れんなよ!」
軽く手を挙げ応えたが、 意識はすでにコートの中にあった。
少しでも早く、 誰よりも強く。
その為に、 後から千葉が漏らした本音まで気づく余裕もなかった。
「だから痛い嘘つくんじゃねえよ……」


試合開始直前、 唐沢からの指示を受けた伊東兄弟は、 二人して顔を見合わせた。
「本番だと思ってかかって来い。 相手は明魁のダブルスのつもりで」
二人に出された指示は、 実にシンプルなものだった。
いつもならフォーメーションまで細かく指定する部長が、 一体どうした事だろう。
簡潔過ぎる指示をどう解釈していいか分からず、 二人とも困惑したのである。
「なあ太一? 結局、 何をどうすればいいわけ?」
勢いよく掻き上げられた金髪の下から、 陽一朗の見事な膨れっ面が現れた。
理解を超える指示を出されると、 すぐに弟はこの顔で太一朗に聞いてくる。
それは成田が部長の頃から変らない習慣だ。
「たぶん 『本番だと思って、 気合入れろ』 って事じゃないかな?」
「じゃあ、 本気出せばいいってこと?」
「そういうことだと思うけど……」
弟の陽一朗よりもいくらか思慮深い太一朗は、 指示の内容そのものよりも、
こんな指示を出した唐沢の真意を測り兼ね、 困惑していた。
この練習試合は、 トオルにダブルスの基礎を教える為のメニューのはず。
それを 「本気でかかれ」 と指示するからには、 何か特別な意図がある。
ここまでは辿り着けたが、 その先が分からない。
現時点で自分達に本気を出させるという事は、 相手の弱点を容赦なく攻めるということになる。
つまりそれは、 出来上がったばかりのトオル・唐沢ペアの最も崩しやすい部分 ―― 
ダブルス経験の少ないトオルの方を集中的に攻撃しろ、 と言われたに等しい。
「なぜ……?」
太一朗は自分の出した結論に戸惑いを隠せなかった。
部長がそんな無謀な指示を出すはずがない。
コートに入る前、 もう一度唐沢の方を向いて確かめてみたが、 やはり間違いはなさそうだ。
深く頷く仕草は 「遠慮なくやれ」 と言っている。
大いに罪の意識を感じつつも、 仕方なく太一朗はサーブを放った。

双子の弟・陽一朗とは、 中等部から数えて四年以上ペアを組んでいる。
大まかな打ち合わせさえしていれば、 互いがどのタイミングで何をするつもりなのか、 手に取るように理解できる。
おそらく単純な弟は 「本気でやれ」 と言われれば、 容赦なく攻撃を仕掛けるに違いない。
相手の最もコンビネーションを崩しやすい部分を嗅ぎ分け、 驚異的なスピードでボレーを叩き込む。
彼はその才に長けている。
案の定、 陽一朗がダブルス経験の浅いトオルに焦点を当て、 早速餌をばら撒いた。
前衛と後衛の隙間を見つけ、 そこに相手を誘導するように次々とボールを落として行き、 拾わせる。
そして散々振り回した後で、 最後は得意のボレーでピシャリと決める。
粘りに粘った挙句、 得意技でポイントを取られれば、 精神的も肉体的にも疲労の度合いは大きい。
それを相手の限界が来るまで、 何度も何度もくり返す。
要するに、 両輪で走らなければならないダブルスの片方を潰すのだ。

ダブルスにおいて、 パートナーが潰れてしまうほど怖いものはない。
動きの止まったパートナーの存在は、 単に2対1の戦いに留まらず、 ゼロを通り越しマイナス要素となるからだ。
動きの悪い方を攻撃されれば、 当然失点となり、 残った方がカバーしたとしても、 一人で背負うだけ負担は増加し、
自滅への一途を倍のスピードで辿る事となる。
両輪あるはずの片方を失うという事は、 本体の戦力が半減する以上のダメージを受ける。
だからこそ互いの役割分担、 ペース配分を頭に入れて、 常に両輪が機能するよう計算して動かなければならない。
この理論を伊東兄弟に教えてくれたのが、 今ネットを挟んで反対側にいる唐沢である。
ところが、 唐沢にはパートナーのトオルをフォローする気配が全くない。
マニュアル通りの決められたポジションを陣取り、 守備以外の動作をしないでいる。
それどこか、 通常よりも明らかに狭い範囲でガードするだけで、 残りの処理をする気がないようだ。
このままでは確実にトオルは潰れてしまう。
太一朗の不安は、 ゲームを重ねるごとに募っていった。

「トオルの奴、 思ったよりしつこいなぁ……
どうする太一、 ペースアップする?」
兄の心配をよそに、 楽天的な弟はトオルの粘り強さに負けまいと、 俄然闘志を燃やし始めた。
現在ゲームカウントは 「2−4」。
もし相手が本当に明魁のダブルスなら、 点差を開かせるチャンスであり、 太一朗も異存はない。
しかし ―― 反対側のベンチで、 うずくまるトオルの姿が見えた。
激しく肩が上下し、 苦しい呼吸の中でかろうじて水分補給を行っている状態だ。
最強ペアを相手に実質一人で戦っているのだから、 こうなっても不思議ではない。
むしろ、 ここまで喰いついてくる方が不思議なくらいだ。
「いや、 このままでも……」
自滅するだろうと言いかけて、 太一朗は遠くからの視線を感じて口ごもった。
唐沢である。
どうやら、 こちら側の躊躇を見抜かれたようだ。
彼は試合前と同じように深く頷いた上で、 更に睨みを利かせている。
「構わずペースを上げろ」 と、 言いたいに違いない。
まるでイジメに加担しているような罪悪感が、 太一朗を襲った。
放っておいても自滅する後輩に、 追い討ちをかける真似はしたくないが、 部長命令とあらば逆らえない。
唐沢は、 ここにいる誰よりもダブルスを熟知している。
光陵ダブルス最強と称される伊東兄弟も、 成田と唐沢が教え導いた産物である。
きっと何か深い考えがあるはずだ。
この信頼だけを頼りに、 太一朗はペースアップのサインを弟に出した。


最後の2ゲーム、 トオルはどこをどう走り回ったのか覚えていなかった。
限界に近づいた体力と、 朦朧 (もうろう) とする意識の中で、 自分の動きが空回りしている。
それだけは自覚があったが、 他の記憶は遠くへ吹っ飛んでいた。
必死に喰らいついているのに、 全てが空回りする屈辱は、 久しぶりに味わった気がする。
あれはハルキとだったか、 京極とだったか、 ジャンとだったか。
壁のように強いと感じた選手の顔が次々と浮かんでは消えていく。
そして気付いた時には、 悪夢のような試合は終わっていた。

終了と同時に、 唐沢が厳しい表情で歩み寄ってきた。
「真嶋、 今の試合の敗因は何だと思う?」
「すいませんでした。 こんな結果になって……オレのせいです」
「謝罪はいい。 俺が聞きたいのは、 敗北に繋がった具体的な原因だ」
「オレの体力がなくて、 途中で走れなくなって、 それから……」
噴出す汗を拭う間もなく、 トオルは考え得る全ての敗因を数え上げた。
「それから、 ボレーの対処が甘くて振り回されて、 あとは……」
「もういい、 分かった」
途切れ途切れの分析を最後まで聞かずに、 唐沢が冷たく背を向けた。
「真嶋、 答えが分かるまで、 部活に出なくていい」
「えっ?」
一瞬にして、 コート内が水を打ったように静かになった。
トオルだけでなく、 他の部員も今の発言が聞き間違いだと思ったらしく、
皆一斉に手も口も動きを止めて二人のやり取りに注目した。
「ちょ、 ちょっと待ってください、 唐沢先輩。
オレの練習不足は認めます。
これから先輩の足を引っ張らないように、 もっと頑張ります。 だから……」
「言ったはずだ。 俺に 『がんばりました』 は通用しないと。
コートに戻りたければ結果を出して来い」
「でも練習出来ないのに、 結果を出すなんて……」
「分かったら、 さっさと出て行け。 練習の邪魔だ」

負けたとは言え、 あまりに冷たい部長の態度に、 周りの部員からも不満の声が上がった。
「いくら何でも厳し過ぎないか?」
「組んだばかりで、 うちの最強ペアに勝てると思う方がおかしいだろ?」
しかし、 あくまでも不満の声は部長に聞こえない程度の小声である。
「真嶋より、 俺は部長の方に敗因があるように見えたけどな」
「俺もそう思う。
唐沢部長、 いつもより動きが鈍かったよな。 八つ当たりか?」
ざわつく部員の中で、 太一朗はまだ真意を探っていた。
こうなる事は、 唐沢にも予想がついたはず。
と言うより、 彼の指示のもと、 なるべくしてなった結果である。
「部長、 これで本当に良かったんですか?」
最後にもう一度だけ、 太一朗は確認せずにはいられなかった。
その視線の先には、 体を引きずるようにしてコートから出て行くトオルの姿があった。
「これが部長の意図した事なんですよね!?」
半ば抗議に近い口調になっているのが自分でも分かった。
「ああ、 完璧な試合だった。 太一、 ご苦労さん」
拍子抜けするほど冷静な唐沢の態度から、 全て計算の上だと判断した太一朗は、
試合前から抱え続けた疑問をぶつけた。
「どうして、 あんな指示を?
経験の浅い真嶋を潰すような真似を?」
「文句は副部長の担当だと、 伝えたはずだ」
「いえ、 文句じゃなくて……これは真嶋にとって必要な事だったんですよね?
潰す目的じゃなく?」
「さあな」
「さあなって、 そんな無責任な!」
「だから、 文句なら副部長に言え。 俺は忙しい。
それから太一。 もしも答えが分かっても、 絶対に教えるなよ」
さっきよりも凄みの増した目で睨みつけると、 ざわつく部員達を鎮めることなく、
唐沢はさっさと練習に戻っていった。

「信じてみようぜ、 太一」
「ケンタ」
先輩への信頼と不満の間で揺らぐ太一朗に、 声をかけてきたのは千葉だった。
「部長の事だから、 何か考えがあるはずだ」
「俺だって、 部長のこと信じたいさ。
信じたいけど、 あんなやり方で真嶋が育つとは思えない。
それにコートから追い出すなんて。 帰って来なかったら、 どうするつもりなんだ?」
「なあ、 太一? 俺は、 ダブルスの事は分からないけどさ。
部長に関しては、 一つだけ誰よりも詳しいことがある」
「なに?」
「昔から、 あの人が勝負を賭けた馬は負けた事がない」
「今はギャンブルの話をしている場合じゃないだろ?
少しは追い出された真嶋の気持ちも考えてみろよ」
「鈍い奴だな。 だから帰ってくるって。 トオルも必ず。
俺はトオルに賭けた部長を信じる」
妙に自信満々の千葉を横目に、 太一朗は不安を消し去ることが出来なかった。
ダブルス歴の長い自分でさえ見当もつかない答えを、 果たしてトオルが探し出して来られるのだろうか。
よろよろと部室へ戻る後輩の後姿が、 夕日のせいか傷だらけに見えた。




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